虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

自担が来年、退所することになりました。

想像していたよりも早く、その時はやってきてしまった。

 

久しぶりの連ドラ、主演、TBS金10、楽しい楽しい1時間が終了して、余韻に浸ろうとしていたその矢先、Twitterに並んだ「えっ」の文字。その直後、自分に到達したお知らせメール、開いたリンク先の作られたフェイクかのような現実味のないメッセージたち、動画の中で手を前に組みながら等間隔に並ぶ5人。

 

正直、全然受け入れられなかったし、今もまだ喉につかえて飲み込めていない。

 

ただ、ここ1年の仕事量の少なさや「海外」を前面に出してコメントの熱量の差など、不自然な点がなかったわけではない。

廉くんやカイちゃんはどんどん新しいお仕事が舞い込んでくるのに、

どうして平野くんは音沙汰がないのだろう?ずっと待っているのにと不思議に思っていたことも、

こうして決断を知らされて、なるほどとようやく合点がいくもの。

 

実は自分は、昨年末から年度末にかけて体調を崩し、考えられないほどやつれてしまった。

そんな中、ドーム公演で元気と活力をもらい、周囲の支えもあって、ようやく復調してきていたところだった。

家族から「平野くんの違和感に、共鳴していたのでは?」と言われた。

正直そうだと思う。心と体はリンクしている。免疫は確実に下がっていたと思う。(コロナにもしっかりかかった)

久しぶりのバラエティを見ていて、平野くんに「求められたことに応じよう、としなくていいよ。そのままでいいよ。」と初めて思った瞬間があったのも、この頃ではないかと思う。

 

いつもそう。思い返せば・・・と思わされてしまうもの。今更何を言っても、後付けでしかない。

雑誌を読んでいても、いつも前向きだったし、5周年はお祝いできるものだと信じていた。

ワクワク、どんなことをしてくれるのだろうと楽しみにしていた。

自分自身が直訴して勝ち取り、育て、大切にしてきたKing & Princeを、こんなにも早くやめてしまうなんて想像だにしていなかった。

 

それでも私は、彼自身のファンだから、動画の最初のコメントで「ごめんなさい」を言われた時、胸が苦しくなった。

驚かせてしまって、と言っていた。でも、そんなことどうでもいい。私の驚きくらい戸惑いくらいくれてやる。謝らないでほしい。

ただ、彼が「年齢的に」という言葉を口にした時、あまりに生き急ぎすぎではないか、と思わずにはいられなかったのと同時に、もう少しデビューが早ければ・・・と思ってしまったことに身に覚えがあるのも事実で。

ただ、どうして別れていかなくてはならないのか、どういった話し合いの場が持たれたのか、出ていかなくてはできないことがあるのか、他に理由があるのではないかと心の靄は晴れないままで。

廉くんが「ジャニーさんが作ってくれたKing & Princeを守る」と言った時、胸の奥がツンと刺されたような痛みがあったし、

カイちゃんが涙を堪えながら決意を語り、「僕はこの5人でやっていくと思っていたので、寂しいし・・・」と言葉を詰まらせた時、その後再度話し始めたけど喉がつっかえて、それを堪えながら「寂しいし、辛い」と言った時、とてもじゃないけれど耐えられなかった。

 

れんとカイを置いていくのか。

ずっと離さなかったじゃないか。

何があっても一緒だったじゃないか。

弟2人を置いていっていいの?

 

それでも、やっぱりKing & Princeは令和のアイドル。

個々を尊重して、お互いを大切にしてきた。

こんな時まで、誰も大声を上げないし、大げんかもしない。

 

平野くんがいずれ飛び出していきそうだよね、というのは

平野担であればみんな感じていた節があったと思う。

時々話題にもなったし、その度に私は「ジャニーズじゃなかったら応援できるか自信がない」と言ってきた。その時の状況によっては、ジャニヲタもオタクも辞めるのかも、と。

でも、これから一緒に思い出を作っていく過程が、何も揺らぐことなく進んでいける未来が長くあるものと信じていた。

ジャニーズを辞めることは、ジャニーさんと本当の意味でのお別れになるのではないかと考えていた。

だから、こんなに早いのは全然納得がいかない。

一緒にでいくのがジンくんと岸くんだというのにも全く溜飲が下らない。

 

ジャニーさんがいなくなった時点で、目標を見失ってしまっていたと思う。

最後にした約束、「海外で頑張る」しか頼るものがなくなって、

それをモチベーションにするしか選択肢がなくて、

進んでいる道が正解なのか、間違っているのか、答えをこれる人はもうこの世にはいなくて。

不安なんだろうな〜という場面がなかったわけではない。

それでも、自分が言い出したことだから。

自分が自分の意志で、ジャニーさんを説得して、スタートしたことだったから。

責任を持って、舵を取らねばと奮闘していた様子は見て取れていた。

 

すごく、その勇姿がかっこいいなと思っていたけれど、

少しでも彼が信頼して寄りかかれる大人が側にいてくれないだろうかと

願う気持ちがあったのも事実である。

 

それでも、ここまで踏ん張って頑張り続けてくれてありがとう。

確実に成果はでてきていたと思うよ。

どんな評価を自身に下しているのか、わからないけれど、

話題になっていたし、新しいキンプリを見たっていう人、

新たに興味を持ってくれた人、たくさんいたと思う。

客観的な評価を見る指標って数字くらいしかないから、

商売っ気がないと結果が見えづらくてもがいたかもしれないけど、

私はずっと楽しくて幸せだったよ。

 

どんな選択をしていくのか、現時点では何もわからないし、

こんなに曖昧なものしか差し出されていないけど

私は、人として、平野くんを見ていたいと思う気持ちだけでここまで

8年近く彼を応援してきたから、ただただ今はついていくしかないと思っている。

母にも「行かせてあげなさい」と諭された。

「かっこいいやん、挑戦したい気持ちを選択する平野くんの方が、かっこいいんじゃない?」と。

確かに彼らしい。

意外なところで、意外なアクセルをブンと踏む。

賭けに出る。

本当にいつまでも読めない人だ。

 

ただ今は心を整理するために時間がほしい。

そして、来年の5月23日、5周年おめでとうを言うつもりだったその日、

こころよく背中を押してあげられたらいいなと。

今は漠然とそう思っている。

帝劇卒業

ついに来てしまった。

 

覚悟はしていた。

 

 

冬の帝劇の舞台から、平野くんが卒業した。

 

 

最後に平野くんが帝劇の舞台に立ったのは2020年1月27日。

2019年から2020年にかけて公演していた、『JOHNNYS' IsLAND』の座長としてであった。

 

その翌年、確かに冬の帝劇に平野くんは立っていないが、新型コロナウイルスの影響もあって延期されていたDreamBoysが上演されていたので、特例だという認識があった。

 

そのため、今回の『JOHNNYS' IsLAND』のお知らせが来たときに、出演者に名がないのを見て、確定的な情報として「卒業していたのだ」と認識したという状態になる。

 

と、同時に、舞台名が同一であっても演出が「滝沢秀明」になっているのを見て、ジャニアイ(ジャニワ)の世界にも時が流れたのだなあと感じた。

 

2年前に、ジャニアイを見た感想を本ブログに上げている時点でも、「最後かも」と書いている。

実際、我々ファンの間でも当時から、これでもう卒業かなぁという予測はしていた。

 

だから、今回のお知らせを受けても、衝撃を受けたり驚いたりというよりは、多くの人が「ついに」「覚悟はしていたけれど」と言っていた印象だ。

一方で、同じように口を揃えて「でも、寂しい」とも。

 

 

私は、ジャニーズの舞台で0番に立つ平野くんが、本当に本当に大好きだ。

帝劇のセンターで舞う平野くんの美しさ、スター性、オーラは、目を見張るものがある。

 

自分が就職したり、上京したり、この数年間で様々な環境の変化があっても、帝劇の平野くんを見て心揺さぶられる感覚は、ずっと変わらず、衰えず、見るたびどんどん好きになった。

立ち姿、ダンス、歌、フライング、どれをとっても「華」があって、目が離せないのだ。

 

実際に、デビューができるか分からなかった時代、ジャニーさんが平野くんに立て続けに舞台ばかりをやらせていた時には「鳥籠」という表現まで飛び出すくらい、不安要素として捉えられていたと思う。

 

私も、もっとテレビや映画といった「一般層」へのアピールをしてほしいと願っていた。

どうしてこんな逸材を、ほんのひと握りのファンしか見られないような舞台に閉じ込めるのか、こんな狭い世界でエンターテイメントとして消化してしまっていい訳がない、と。

 

その後、本人の直談判で「デビュー」という突破口を開いてからは、電光石火の如く認知度が急激に上がり、今では「一般層」に対するお仕事ばかりになった。

メジャーになるとは、こういうことだ。

光陰矢の如し。

本当に、デビューしてからの3年半は、ジュニア時代に応援していた3年半とは比べ物にならないほど、速い。

 

その分、本人も口に出して言っていたように、その現場に足を運ばずとも、平野くんの姿を画面越しに見ることができ、パフォーマンスにもアクセスができるようになった。

今や、YouTubeでMVが見られるのである。

これは画期的な進歩であり、数年前の自分が聞いたら飛んで驚くと思う。

そして、とてもありがたいことだと身に沁みて感じる

 

これほどまでに簡便に平野くんたちの作品やパフォーマンスにアクセスできる環境に身を置くとなお、帝劇に立つ平野くんの映像が、ワイドショーで流れた数秒や、まいジャニの密着くらいしか残っていないのは、本当に口惜しい。

そして何より、あんなに大切に思っていたはずのその一瞬一瞬の記憶が、時が経って薄れていってしまっていることにも、不甲斐なさと切なさと悔しさを感じる。

人間の記憶力には限界がある。

 

 

本当に素敵なのだ。

 

今こそ、映像を円盤として出してほしい。

ハピアイの時の収録はなんだったんだ。コントを入れ替えたアレはなんだったんだ。一生言うよ。

 

 

でも、これもまた、一つのステップなのだと思う。

平野くんたちが先輩たちから受け継いだように、いつかは継承しなくてはならなかったバトンだと思う。

ジャニーさんが亡くなって、恩返しとして帝劇に立ってくれた、あの最後の年さえも、奇跡だったのだという気持ちもある。

本当に十分、尽くしてくれた。

そして、ジャニーズの舞台を、自分の育ってきた場所として大切に想っているのだと感じられる。

 

Namae OshieteのMVで、平野くんが「ファンの皆さんとの出会う場」として劇場を捉えていたことにも、彼らが「帝劇育ち」であることを象徴しているようで、涙が出そうなくらい嬉しかった。

 

またいつか、帝劇に立ってくれる日も来るかもしれないけれど、主演であっても座長であっても、それは、また「違う」形だ。

 

綺麗な形で、ここで一つ、卒業をしていったのだと思う。

 

 

帝劇0番に立つ平野くんを愛した日々の全てが、宝物だ。

 

まずは、卒業おめでとう。

そして、たくさんのありがとうを。

北村匠海さんという表現者に出会いました

久しぶりのブログ更新なのに、平野くんのことじゃないのか、と私自身が一番びっくりしていますが、予め言っておきます。

担降りとか、推し変とか、そういう類の記事ではありません。

ちょっと別種の、出会いと発見があったというお話です。

 

本当はコロナ禍の中で、もっと記事にしたい思いもあったのですが、

なんだか今のこのタイミングにしか、この気持ちは生まれないことを、ジャニオタ人生を通して知っているので、今書いておきたくなった次第です。

 

タイトルの北村匠海さん。

平野担である私は、ちらちら名前が横目に入る存在であり、平野くんと同世代の俳優さんとして認知しておりました。

他事務所、他グループ、良作に出ている実力派の俳優さん。

端的にいうと、ライバルという認識でした。

 

そんな彼が歌う『猫』。

THE FIRST TAKEのYoutube再生回数で最も早く1億回再生を突破したその動画に、すっかりハマってしまったのであります。

 

私自身は、その動画を見たのは話題になってからずっと後でした。

ジャニオタなので、Youtubeのオススメに手越さんの動画がよく流れてくるのですが、その中で不思議と聴いてみようと再生したのが「猫」で。

途中まで聴いただけでも良い曲だと分かったので、せっかくならオリジナルの動画を見てみようと辿り着いたのが、件の『猫』でした。

多分、2020年11月末くらいだったと思います。

 

初めて見た時の感想は、「あ〜俳優さんとして実力のある人が歌も極めるとこんなに情緒溢れる表現ができるのか」というものでした。

DISH//さんがそこまで音楽の道を邁進されているなんて、ジャニオタである私はまったく知りもしなかったのです。

なんなんですか、あのお声は。

甘く、青さのある少年性も残しつつ、ハイトーンで一本芯が通ったクリアな声質でありながら、大人の色気も滲ませるかのようにちょっと語尾がかすれるあの感じ。

さらには、 歌そのものが至高であることはさることながら、歌っている時の姿、表情が筆舌に尽くしがたいほど魅力的でした。

顔をくしゃくしゃにして、腹の底から思いの丈をぶつけるようにどストレートにバコン!と打ち付けるように歌っているのに、どの一瞬一瞬を切り取っても、カッコ良いのです。

すこし猫背なのも、私にはぶっ刺さってしまって、あえなく私は帰り道に毎日何回もその動画を再生するようになりました。

(肩の上がり方や手先にかけての動かし方が猫背の影響かニノと似ている時があるように思います。)

 

オタク気質の私は、ライブブルーレイが近く発売される予定であるという情報をキャッチするなり、あっけなく購入ししました。

初めて見た時の感想は、「着替えないの!?ずっとステージにいるの?!?」というアイドルオタク丸出しのものでしたが、まあ、うまい。

噛めば噛むほど、うまい。

ちょっとくら音外してもいいのでは!?

歌も演奏も本当に上手で、想像していたより中毒性の高いものでした。

いずれにしてもバンド形式というのはより純粋に音楽が楽しめるものらしく、

気づけばDISH//さんの曲を口ずさんでは、もう一度あの曲聴きたいな、と再生するようになりました。

 

iTunesで簡単に曲を買えるのも大きかった。

あと、調べたら公式のYoutubeチャンネルでMVが見られることも。

アルバムを買ってしまうのは流石に気が引けても、気になる1曲を買うのはハードルが低くて、それを積み重ねて気づいたら…という状態。

土屋太鳳さんと歌っていたTAOTAKのAnniversaryもとてもお気に入りです。

声質だけではなく、言葉の発音(滑舌)もクリアで聞き取りやすいし、リズム感も良いので聴いていて心地が良く、なんどもリピートしています。

 

さらに、Youtubeの再生回数という制度がたまらんもので。

私が見始めた頃は6000万回再生くらいであった件の動画の再生回数が、年末の音楽番組での披露等も重なって、ぐんぐんと伸びて、

気づけばずっとトップだった紅蓮華にも追いつけ追い越せ、という状況に。

毎日見るたびに何十万回の単位で伸びていくので、その単調増加が本当に気持ちよくて、動画をみたいという気持ち以外にも、再生回数をみたいという気持ちで開いてしまっていました。

また、コメント欄にあるファンのみなさまの声が本当に幸せに溢れていて、

「見つかって嬉しい」という喜びに満ちたものから「あの頃はこんなんだったのに〜」というエモいものまで、あ〜今、応援してきてすごく一種の達成感もあるタイミングなんだろうな、って、幸せをおすそ分けしてもらうような気持ちになり、コメント欄を見ることまでもが私の楽しみになっていました。

1億回間近になった時には、お昼休みにも確認してみたりして、DISH//ファンの方が祝っているのを「よかったですね」と感動して眺めたりしました。

どこか、平野くんがどんどん世間に見つかっていったあの興奮と重ね合わせて見ていた節があったのだと思います。高揚感があるのです。

 

そんな、ちょっとしたマイブームになっている北村匠海くん。

 

永瀬廉くんとFBFで共演したのも記憶に新しいところですが、

(その番宣でV振りのコメントが廉くんに負けず劣らずスムーズで、この人俳優さんじゃないの?と思ったりもしましたが、そうですか、

EBiDANさん・DISH//さんとして培ったそれでしたか、、、)

思い返せば、本当にちょこちょこ存在感を感じてきた存在ではありました。

 

平野くんにやって欲しいな〜と思うような役を、ジャニーズじゃない若手の方が演じているな、と思ったら北村くん、という場面もこれまでにも何回かあったように記憶しています。

 

その中でも、最も『ジャニーズじゃないのか!』と驚愕した作品が、「君の膵臓をたべたい」でした。

 

あの映画が上映になった時は、ちょうど平野くんがくすぶっていた時期であり、尚且つもっとも儚く陰のある色気をまとっていた時期でもあったと記憶しています。

だからこそ、”キミスイ”が話題になった時は純粋に悔しかった覚えがあります。

平野くんだって、世に出れば絶対に話題になれるのに、、、

同世代の才能ある人の活躍は、ただただ羨ましかったのです。

そして、そのお名前を見たときに「北村匠海」くんか、またか、と思ったのでした。

 

おそらく、私がジャニオタとして、初めて北村くんをはっきり認識したのは、

2013年の「陽だまりの彼女」でした。

彼は、松本潤くんの中学生時代を演じていました。

その時もお名前は別に初見ではなかったと思います。

こんなにそっくりな美少年が世の中にはいるのか、北村匠海くんっていうのか、なんか名前見たことあるな、ジャニーズじゃないのか、という感想でした。

(ジャニオタなので発想がジャニーズ中心で申し訳ないです。)

 

その後、中学時代のジャニオタの祖(同級生)に久しぶりに再会した時にも「北村匠海」という名前があがりました。

我が師匠においては、その時にはすでにジャニオタを卒業し、ちゃっかりEBiDANに乗り換えておられました。

確か、SUPER★DRAGONの田中洸希くんでした。

(いずれは自分も好きになるかもしれないから、と名前を覚えておいた自分を密かに褒めたいと思います。)

やっぱり彼女は、先を行く人だなと思います。

その再会時に、「私も今やすっかりジャニオタだよ、平野くんだよ」と告げたのに呼応して、彼女は自身の近況としてジャニーズじゃないオタク活動の様子を伝えてくれました。

その当時小学生だった田中洸希くんのために、大きなお花をプレゼントしたり、写真を撮ったり、というふれあいの様子を写メを見せながら教えてくれ、まだまだ新しい世界もあるものだと思ったものでした。

そして、EBiDANの紹介の一環として「北村匠海くんって知ってる?あの子もいるよ」

と教えてくれたのでした。

 

僕たちがやりました、の時も、自分のアンテナはちゃっかりDISH//さんをキャッチしていた記憶があります。

友人が窪田正孝さんのファンで、僕やりのドラマが既に話題になっており、その初回放送を見ていた時でした。

エンディングが流れ、歌いだしのその「そうです、僕たちがやりました

のワンフレーズが耳に到達した瞬間、ビビッときたのを覚えています。

本当に瞬間的に思わず画面を振り返って、

エンディング曲の詳細が出てくるまでテロップを凝視し「DISH//」の曲であることを確認しました。

そして、DISH//さんって名前見たことあるな?と思いつつ、いやこの声は新進気鋭のバンドなのでは?(RADWIMPSとかセカオワ的な)と思い、慌ててスマホで調べてみたところ、”ダンスロックバンド”というコンセプトでやっているらしいスターダストのグループであると改めて知り、

ジャニオタの端くれである私はその時にさえも

「ああ、ジャニーズじゃなかった、、、」と思ってブラウザを閉じてしまったのでした。

あの清涼感と色気の混在する歌声にアンテナが直感的に働くことは、その時にもすでに証明されていたのですが、

平野くんにどうしても羽ばたいて欲しかった当時の私は、

『ジャニーズじゃない』『アイドルっぽい』

と認識すれば即刻その方々の活躍を、無意識のうちに視界から外してきてしまっていたのだと思います。

 

その他にも、雑誌を買えば北村くんは載っていたし、その度に排他的に(まるで触れてはならない人のように)避けてきてしまっていたわけです。

 

それがいまや、こんなにも才能に恵まれたかたであると知ってしまった瞬間、

出演作品にまで遡ってチェックしてしまうようになりました。

やっぱり、「平野くんにやってほしいな」と思うような良質な作品に、ことごとく出演されているというイメージは間違っていなかったように思います。

そんな感想を抱いている矢先、平野くんを通して知った一番好きな小説である

「とんび」の映画化を、まさしく北村くんが阿部寛さんと演るというニュースも

タイミングよく舞い込んでくるなどして、思わず笑ってしまっています。

 

また、北村くんの過去の作品をチェックしていた中で再認識したのが、

彼とて初めから歌が上手だったわけではないし、幼い頃から良いお芝居をなさってはいましたが、ダントツで突出した俳優さんだった

というわけでもないということです。

私が想像していたよりも、努力を実らせ、才能を徐々に開花させてきていた、という印象を受けました。

同時に、ファンの方々はその過程を見守っていらして、本当に楽しかっただろうな、と思います。

 

一方で、自分は、この完成された今の一番熟していると思しき表現者北村匠海さんを、ブームとして楽しむことはあっても、平野くんやニノに抱いていた「あの頃から気づいていれば」

という後悔ににた感情はまったく感じておらず、また、「直接会ってみたい」という衝動にも駆られないのです。

不思議なことに。

 

歌も芝居も、もっと見たい!と思いますし、

その才能に一般人として惚れてはいて、(字も上手!)作品に対して感動を覚えたり、楽しみという感情は抱いたりはするものの、

平野くんに対して感じている「この人の歴史を目撃したい」という、『人』に紐付いた感情が芽生えてはいなくて、本当に不思議な感覚です。

自分としては、新たなジャンルを開拓した気持です。

多ジャンルの趣味(推し)がいる友人もこんな感情なのかななんて想像してみたりしています。

 

 

 

私は、ニノにしても平野くんにしても、その「人」に惹きつけられてきたわけですが、これはやっぱりジャニーズだから、アイドルだから、なのかな、と改めて感じました。

 

また同時に、平野くんがデビューする前もデビューしてもなお拘っている「強み」というワーディングに対して、共感を覚えました。

確かに、同世代の俳優さんと共演すれば、「自分には突出したものがない」という感覚を抱くものかもしれません。

そういう世界を、北村くんを通して見た気がします。

(北村くんのお芝居はやっぱり繊細で上手で、隙がない。表情がなくても動きがなくても語られているような佇まいで、俳優さんってすごい、、と思っております。)

 

正直、真っ向勝負で勝てる気がしない、と思ってしまっても仕方がないなと思いました。

というか、遅ればせながら、思ってしまった。

 

確かにジャニーズみたいに歌もダンスも芝居もバラエティも、どんどん実践式で積み重ねていくスタイルでは、何か一つのことだけを突き詰めることは難しい、と感じてしまっても仕方がないなと思います。

そのマルチな活躍、が売りだと信じてやみませんでしたが、どの分野でも彼らはそのステージのプロフェッショナルと肩を並べて取り組まなくてはならないのです。

 

平野くんには、華があります。

こんなにも、人気もあります。

帝劇であんなに美しく舞える人は、そうそういないし、

その生きざまだけで一つの物語が始まりそうな、

スターとしての星の下に生まれた人だと、私は

今でも思っています。

 

だけど、対等に戦いたい、よね。

 

ましてや、平野くんはコロナ禍の影響でスケジュールがずれた影響なのか、

久しぶりに音沙汰のない日々が続いています。

(かぐや様2のお知らせはあったので、贅沢になってしまったものですが)

 

 

そんな中、北村くんに興味を持ってみると、彼は今、毎日WSになんらかの話題があがっているんですね。

ちょ、ちょっと働きすぎではないでしょうか。

平野くんのデビュー直後の最多忙期でも、こんなに毎日毎日、別ジャンルの何かしら(映画やらCDやら)が上がり続けていたことってなかったように思います。

バラエティや雑誌には信じられないほど、出ていましたが、、、

 

思えば、平野くんのお仕事が落ち着いてしまっていてさみしいな、と思う気持ちから、他に手を伸ばしてしまったのかもしれません。

私自身、時間は全然ない中で、新しいものを鑑賞してみることを選択していることにびっくりしています。

 

平野くんの映画は楽しみにしていますし、彼が無理のないようにゆっくりできることをずっと心待ちにしていた、の、です。

忙しすぎて磨耗していく様子は、心が痛くて見ていられませんでした。

今のペースが彼としてもベストなのであれば、それが一番だと思っています。

 

ただ、コロナ禍の中、ライブDVD発売とブログと映画のお知らせだけでは、少し心許ないという感覚があります。

気が付かない間に、私も、贅沢な人間になってしまったものです。

 

この隙間を埋めるべく、まだ見切れていない北村くんのドラマのBlu-ray購入を検討しようと思います。

そして多分ですが、北村くんのジャンルって

一時の林遣都くんや、少し下の神尾楓珠くんにも通ずるものだと思うので、同様に注意しておきたいと思っています。

 

あ〜早くコロナ、収束してくれないかなぁ。

JOHNNYS' Island

ちょっとの間、時間ができたので、思いつきでブログを書いてみることにする。

 

今回のジャニアイについて、思い出せる限りを記録していきたい。

 

今回の舞台は、発表される前から「ドリボをWゆうたがやり遂げたんだ、キングにも冬の帝劇を…!」という痛切な願いと、「これまでも守ってきた」というある種の確信があった。

 

それでも、発表された時は心の底から嬉しかった。絶対に行きたい、何としてでも入りたい、そう思った。

ここまで執着心が沸いたのは、もしかするとジャニフワ以来かもしれない。

 

スノストはデビューを控えているため出ない。トラジャもJUMPのツアーについていて、帝劇には出ない。今回舞台に立つメンバーの平均年齢はグンと下がった。

 

なんと、平野くんが最年長だというのだから、驚きを隠せない。

 

また、もう一つ今までとは大きく違うことがあった。

ひろむが、旅立ってから初めての冬の帝劇だ。

 

ひろむが大切に大切に守ってきた舞台。その舞台を、帝劇で出会い、帝劇で大事に育ててもらったキングが座長として請負う。

 

これこそ、ひろむへの追悼だと思った。

 

その後発表されたタイトルが、「JOHNNYS' Island」と原点に立ち戻ったものであったことからも、尚のこと期待は膨らむ。

 

変な装飾のない、純粋な、ジャニーさんから引継ぎし想いを表現する舞台。

 

実際に、初めて見た時の感想は「随分とスッキリしている…!」というものだった。

だけど、確かに華やかで飽きることのない、良質な舞台。

 

なにより平野くんの表情が、柔らかく、美しく。

母性にも近い、全てを包み込むようなその空気に、涙が堪えきれなかった。

初観劇の日は、正直平野くんが出てくる度に泣いていたと思う。

 

彼の立ち振る舞いは、彼自身がここに立つことを望んで、ある種の意識を持って、覚悟を持って、そこに立っていることを示していた。

特別な何かをするわけではなく、その立ち方そのものが、だ。

 

本当に、ここに立つことを選んでくれてありがとう。

毎日同じことを繰り返す舞台は、彼にとってどれほど過酷なものだろう。

それでも、ここに立つことを選んでくれた。

ひろむの意志を、後世に伝えたい、と。

 

ヒロムが亡くなってから、自発的に愛を叫ぶようになった。

いまや、共に交わした夢でもある「海外進出」という目標こそが、彼を支える柱となっている。

 

そんな平野くんが歌う、『あの日』。

 

星たちが囁いてる

あの日のこと いつまでも想い出にできない

暗闇に悩まされる

別れの訳を 寄り添って 離れようとしない

掌から溢れて 初めて気がつく

失くしたものの 大きさを

この胸から消えて 孤独に気がつく。

 

心臓をギュッと掴まれたような心地になった。

 

これほどまでに今の状況にピッタリな曲はあるのだろうか。

 

私は初日から一週間、入ることはできなかったが、

その間ずっと平野くんは、ただひたすらに号泣しながら歌っていたのだという。

 

私が初めてみた時、お友達に「紫耀くん、泣いてなくてちょっとホッとしたね」と言われた。その言葉で初めて、それまでのことを知った。

 

どれほどの喪失感であろう。

こうして舞台上で表現することで、昇華出来たらいいなあと思う。

きっと、おじいちゃんも、喜ぶ。

 

こんなふうに考えるなんて、3年前の自分が知ったらさぞかし驚くことであろう。

 

平野くんの悲しい気持ちを、売り物にするな!デビューさせてくれない、鳥籠に閉じ込めたままの、そんな歪んだ愛情なんて…!

と自棄になった時もあった。

これだけ彼が、自分の身を削って演じても、大してメディアにも取り上げられず、取り立てて大きな成果(定義にもよるが)に結びつくこともなく、ジャニオタとひろむの間だけで消費されて…と皆んなで頭を抱えたものだった。

 

おじいちゃんは、本当に大切に思っていたのだ。

数字を競わされる世界に、我が子を送り出してしまうことさえ、彼にとっては悲劇のひとつだったのかもしれない。

「今でも十分やっているのに」

そうひろむは言ったという。

そうだ、誰にも害されることなく、誰にも傷つけられることなく、自分の腕の中で大切にしておきたかったのだ。

 

でも、我が子たちは「あの人に認めて欲しい」「認めてくれた証が欲しい」と願った。

それを、直接相談することにした。

 

結果的に、その決意が歴史を動かしたのだから、我々は歴史の証人なのだと思う。

 

そんなことにまで、想いを馳せずにはいられない。

 

最後に平野くんは、ジャニーさんがよく座っていたという席を優しく触りに行く。

真っ直ぐに。脇目も振らず。

 

帝劇の0番で華麗に舞い、優雅に舞い、堂々と歌い上げている、その彼の目にはただ1人、ジャニーさんがうつっている。

彼は彼を思い、パフォーマンスし続けているのだ。

 

何も知らない人から見たら、何とおどろおどろしい文章だろうか。

 

ただ、この美しい親子愛に、他人の付け入る隙などないのだ。

 

今日が私の、最後の観劇になる。

 

大好きな帝国劇場で、最高のパフォーマンスを見せてくれる平野くんを、

心に、瞳に、脳裏に、焼き付けてまいりたい。

Swinging Dream

今回は、私がどうしても忘れられないMr.KINGの幻の曲についてお話ししようと思う。

残念ながら、記録媒体に残っているものはMr.KINGの湾岸の局動画と、アイランド系のWSやビビットでの一瞬のみだった記憶。

よって、ほとんどが私の微かな記憶ベースでのお話となることを、ご了承いただきたい。

 

Swinging  Dream

この曲が初披露となったのは、2017年秋の帝劇公演「JOHNNYS' YOU&ME Island」(以下、ユメアイと略す。)のこと。

通年であれば、DREAM BOYSが上演されている秋の帝劇において、その秋に公演を任されたのはまだデビューしていないジャニーズJr.たちのみであった。

 

この舞台の会見は異例の帝劇屋上にて行われ、晴天のなか屋根もない屋外での会見では、眩しそうに目を細める当時の彼らの表情が今でも思い起こされる。

平野くんは、帝国劇場屋上で会見できたことを「エベレスト登頂よりも貴重なこと」と例え、彼らしい表現に感服した覚えもある。

 

そんな舞台で、0番に立ち、オープニングも1人でフライングしながら挨拶をしたのは、平野くんであり、実質的に彼が座長だったと言って差し支えないだろうと思う。

ただ、明言されたわけではないので、彼一人が初めて帝劇で座長を務めるのを今でも心待ちにしている。

 

そんな思い入れも深いユメアイにおいて、Mr.KINGの3人が金色の衣装に身を包みながら披露したオリジナル曲が『Swinging Dream』であった。

星空の映像がバックスクリーンに流れるなか、華麗にバトンを回しながら、キラキラと効果音でも付いているかのように舞う彼らは、まるで絵本から飛び出してきた夜空の妖精のようであった。

またこの曲の歌詞が何とも愛らしく煌めきに溢れていて、聞くたびにキュンキュンするものだったのだ。

 

以下、私のメモと記憶と照らし合わせて歌詞を綴る。

 

"素敵なステージが今始まる 準備はいいかい?

今宵、君と僕で 夢を見よう

Swinging Swinging Swinging !

Swinging Dream

 

君と僕のための 一夜限りの 最高級のメロディ かかるのさ

遠く三日月に腰掛けて 夜空のStardust revue

明けない夜 星屑の Celebrate

 

素敵なステージが今始まる 準備はいいかい?

今宵、君と僕で夢を見よう

Swinging Swinging Swinging 

Swinging Dream

 

夜の魔法が解ける前に 弾けて Crazy in dance

このまま ずっと 永遠に two of us

 

 素敵なステージが今始まる 準備はいいかい?

今宵、君と僕で夢を見よう

Swinging Swinging Swinging 

Swinging Dream

uh〜♪"

 

何と愛らしい詞なのだろう。

これを麗しい男の子たちが歌っていたのだから、それはそれは可憐で華やかで美しいパフォーマンスであった。

 

どうしてもこの曲では、バトンパフォーマンスに注目されがちになってしまったところはあった。

特にキング担は、自分も含めて親心のような心持ちで見ている人も多かったため、レポもバトンの成否に重点が置かれがちであったように思う。

たしかに、あの素敵な間奏部分でバトンをクルクルと回しながら華麗に舞う姿はなかなかの見所で、

何より平野くんがとんでもない大技を披露するのだから仕方がない。

平野くんがれんかいから順にバトンを受け取り、合計3本のバトンを抱えた状態から

1本を高く高く投げ、それが降ってくるまでの間に、両脇にいるれんかいに2本をノールックで同時に投げ、

3人が一気にキャッチする

という、もう説明しても伝わらないぐらいすごい大技を組み込まれていた以上、みんなが息を飲んで見守るのも当然だった。

 

成功すれば大きな拍手、失敗しても大きな拍手、とにかく帝劇である以上、拍手でしか感動を伝えられないのはもどかしかったが、

一番の見せ場だったことは間違いない。

 

ただ、この曲のいいところは決して、バトンをするところだけではなかった。

曲の世界観が、美しく若い男の子にしかもたらしえない、どこかメルヘンでおとぎ話のような煌びやかなものだったのだ。

 

ユメアイに続く、ハピアイでも披露されていたが、かなりアレンジされており(廉くんのバトンは曲初めに上からスッと降ってくる等)、私の最も愛した形ではなかったものの、その世界観はやはり健在であった。

 

これが、音源として、映像として、フルで残されていないことは非常〜〜〜〜にもったいない!!

当時も、どうしてもフルの映像を残しておきたくて、各所に要望を送りまくった。

結局、夢は叶わなかった。

Swinging DreamがJASRACに載った時、アーティスト名が「Mr.KING」ではなく「ジャニーズJr.」であった時点で、彼らのオリジナル曲ではないのかと悲しくなった。

実際に、美少年たちが舞い踊ったと聞いて、まだまだ曲として生きていることに喜びを覚えつつも、キングちゃんたち3人だけでパフォーマンスされることはないのだと突きつけられたようにも感じて少し寂しかった。

 

私はまた、あの3人が踊ったSwinging Dreamが観たい。

 

いつまでも、駄々をこねていては「Swinging Dream亡霊だ」と笑われてしまうだろう。

それでも構わない。

私は、この曲を歌った彼らを、今でも愛してやまないのだ。

7/20横アリ公演に行ってきました。

いつも感想とか覚書とかはツイッターに書いてしまうんですけど、ちょっと見る人に不快感を与えかねない感想があるのでこちらに……ツイッターであれだけ好き勝手ネタバレしておいて、と自分でも思いますが笑。

 

今回は、半年ぶりの紫耀くん。かつ、ジャニさんの一件があってからは初めてのコンサート。

いろんな想いを抱きつつ向かったわけですが、

私が書き記しておきたいことは

紫耀くん、調子が悪そうだったなーということ。

2017年のジュニア祭りに似た印象を受けました。

 

心ここに在らずっていう目をする。

 

やる気がないわけじゃない、踊りにキレがないというわけでもない。

だけど私が知るデビュー後の紫耀くんって、1stコンと帝劇しかないから、

あのキラキラの平野くんが、キンプリの平野くんだって思ってるから、

ちょっと久々に見る踊り方や表情にめちゃくちゃ心配が募ってしまいました…

 

疲れているだけなら、ゆっくり休んで回復して欲しいって思うんだけれど。

 

やっぱり、喪失感があるのかなって。

一件があって以降、初めて公の場に姿を表すこととなった音楽の日では、「見守っていてね」と笑顔で歌い上げて、色んな悲しみや寂しさや不安を昇華してくれた平野くんだけれど…

ないわけがないんだよね。

 

だってきっと、ジャニさんが褒めてくれるから、ジャニさんに認めて欲しいから、て平野くんの承認欲求の最たる対象はひろむの方を向いていたんだって思ってるから。

ひろむに恩返ししたいって言い続けているから。

モチベーションという意味でも、その存在ってどれ程大きかったか、と思う。

 

時計をとめてを聴きながら、ドリボで歌った時に「自分の声は好きじゃなかったけれど、ジャニーさんが褒めてくれて初めて自信が持てるようになった」て言っていた話を思い出したり、

ジャニフワで歌ったことを思い出しながら、ジャニさんがどれだけのものを平野くんに託したか、平野くんがどれだけの期待に応えてきたか、2人の絆に想いを馳せたりなんかして。

なんだかすごくすごく、胸の奥がキューって締め付けられるような、そんなコンサートでもあったな〜〜……

 

という、めちゃくちゃ主観的な個人的な感想なので!誰にも共感を強要するわけにもいかない内容だし、記録だけ残しておこうかなと思いました。

 

それでも、一生かけてファンを幸せにしてくれるとジャニーさんに誓う形で約束してくれる平野くんは愛でしかないので。

ありがとうね。

とてもかっこいいよ。

ずっと、そのまま、変わらずにいてね。

ありったけの感謝を伝えたい。

昨日23:30、速報にてジャニー喜多川氏の訃報が入った。

私は飲み会から帰宅し、自室の床にへたり込んでちょうど一息吐いていたところだった。

衝撃だった。

と、同時に深い悲しみに襲われた。

 

大好きなヒロムが。

 

正直、今現在は自分の生活にまったく余裕がなく、大好きな平野くんの情報も完全には追いきれていない状況だが、今の想いを吐き出さずにはいられず、こうして想いのままに文を綴っている。

 

きっとジャニー社長を嫌いなジャニオタはいない。

敬愛の念を込めて、彼のことを「おじいちゃん」「ヒロム」と呼ぶ人が私の周りには多い。

自身が表舞台に立つことをこんなにも拒みながら、広く一般に知られ愛される社長が他にどこにいるだろう。

それは、彼が愛したタレントたちが皆、同じように彼を愛し、感謝し、その絆にファンが感銘を受けるからこそであろうと思う。

 

私は、彼に直接会ったことはない。

もちろん、言葉を交わしたこともない。

 

でも、彼が作り出す舞台に脈々と流れる信念や思想、メッセージというものを

浴びて、感じて、汲み取って、咀嚼して。

彼の作り出す世界観に魅了された何万人何十万人何千万人もの人間のうちの一人だ。

 

彼はとても純粋だった。

その感性一つで、ジャニーズ事務所、ひいてはジャニーズという概念をここまで偉大なものに引き上げてきた天才である。

その分、雑味がない。

そもそもジャニーズ事務所に商売気がなく、いつまでも極めて効率の悪い運営方法を採用し続けた背景には、このヒロムの趣味の延長であるという性質があったに違いない、というのはすでにオタクの共通認識であろう。

それでも、一度ハマると抜けられない。

彼の主張は一貫しており、彼の感性は他が真似することのできない、天才的なものである。

 

私は、彼の感性が赴くままに下される決断に対し、絶大なる信頼を置いていた。

 

平野くんがデビューできずに悶々とした時代も、どこかで「ヒロムがまだGOサインを出してくれないのなら…」と待ち続ける覚悟が決められた。

関西から東京に移動してきたときにも、キンプリが結成されてすぐ違和感を感じていたところに彼が「デビューはまだまだ。秋からは別で。」と放ったその一言が妙に腑に落ちたのもまだ記憶にある。

彼が「6人が好き」「いつメンが好き」と主張するたび、どういうグループでデビューするのが一番幸せな形なのだろう、何を応援すればいいのだろうと悩んでしまったが、結局は「ジャニーさんが下す決断なら何でも信頼するから」と腹をくくれた覚えもある。

その分、「ご健在のうちに絶対平野くんを世に放ってよね、自分の鳥かごに囲ってしまわないで。」と念を送った日々もあった。

 

だから、キンプリのデビューが決まったという知らせには動悸がとまらないほどに気持ちが高鳴ったと同時に、大きな不安にも苛まれた。

正直、彼が愛したのはキング3人ではなかったか。

どうにも彼に6人という選択肢があるとは思えなかった。

そして、それを裏付けるように報道された、ジャニーさんに組めと言われたわけではなく、自分たちで6人がいいのだと主張してのこの布陣になったというその事実が、どうにも納得できなかった。

世に受け入れられるのか?本当にベストな形だったのか?

 

その不安は、平野くんたち本人からの希望と野心に満ちた言葉と、そしてジャニーさんからの信頼の言葉ですべて溶けていった。

 

水を得た魚のように活き活きとパフォーマンスし、言葉を語り、テレビにでる平野くんが、このデビューによって自信と活力を得て、その魅力を最大限に発揮できていることは火を見るより明らかだった。

そして、それはヒロムも同じだったのではないかと勝手に思っている。

 

そんな中、Jr.時代にあれだけ熱く指導し手放してくれなかったジャニーさんが

「何も言うことはない」「よくできている」と褒めていると聞いたときには、

彼の手を離れることを意味しているのだと思い、とても寂しくなった。

一方で、自身の死期を悟っているのかもしれない、まだ行かないでお願い、とすがるような気持ちも抱くようになった。

 

それを繋ぎ止めるかのように、平野くんが逐一「ジャニーさんへの親孝行」「恩返し」「ジャニーさんの夢を叶えたい」と彼への愛を言葉にする姿に、どれほど涙したことか。

平野くんは今、どんな気持ちでいるのだろうか。

泣いているだろうか。

 

誰よりもオリンピックを楽しみにしていたヒロム。

その気持ちは本当に少年のように純粋無垢で、きっとおたくは誰よりも彼にオリンピックを迎えて欲しかったと思う。

 

どうして今なんだろう。

いつかはこの時が来ると、そう思っていたはずなのに受けとめきれない。

 

もっとあなたの作り出す世界を見せて欲しかったよ。

もっと平野くんたちの活躍を一緒に見たかったよ。

もっと彼らからの恩返しを見て欲しかったよ。

 

ジャニーさんのおかげで、私の人生はがらりと色を変えました。

今の決断に至ったのは、あの時思い切った選択をできたのは、新しい世界に踏み入れることができたのは、すべて貴方が世に放ってくれたタレントの皆様の活躍があってこそでした。

彼がいなければ私の人生はまったく違ったものになっていたに違いない。

 

私にとっても、恩人なのです。

 

だからこそ、ありったけの感謝を伝えたい。

 

本当に、ありがとうございました。

 

ゆっくり、休んでください。

 

そして、見守っててくださいね。

 

大好きです。