虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

1年前は、こんなこと想像してた?

今朝、(正確には昨日の朝)祖母と平野くんの活躍について話している際に問いかけられた。

「まさかこんなことになるなんて、1年前には想像してた?」

 

答えはもちろんNoである。

いつかは。

いつかはデビューというスタートを切れるはずだと信じていたはずなのに、

いつかは世の中に名を轟かすはずだと確信していたはずなのに、

まさか1年後にはその想いがこんなにも叶っているなんて思いもしなかった。

 

答えはNoだとわかりきった前述の問いに対して、より正確に答えるべく、1年前のことを想起していた。

すると4月13日という日付に既視感を抱いた。

そう、MATCHのCMのイベントの日だ。

平野紫耀 青春トークイベントとして平日に開催されたそれは、得体が知れないものであり「映画だろうか」「CMだろうか」「まさかソロデビューなんてことはないよね」なんて憶測が飛び交ったものであった。

いち早くその情報を得るため、実験しながらTwitterを追っていた覚えがある。

そして、CMおめでとう!と皆んなでお祝いしたことも、今までにないくらいMATCHを買ってさすがに飲み切れずに人に配ったことも、全て遠い昔のような気さえしてしまう。

何故なら、平野くんの活躍の幅が瞬く間に更新されてきたからだ。

 

勢いはとどまることを知らない。

 

そこから初主演映画の情報解禁があった。確か、5/6ではなかっただろうか。

その更に1年前の5/5にはジャニフワの情報解禁があり、ゴールデンウィークの終わりには必ず爆弾があるものなの?!と思った覚えがある。

加えて、もう一作品主演映画か決まった。

 

ドラマへの出演が決まった。

 

 

そして、待ちに待ったCDデビューが決まった。

 

私自身の人生においても、ターニングポイントと言えるこの時期に、彼もまた人生の節目を迎えていた。

今現在、彼の活躍に勇気をもらって、苦しい時を踏ん張っているところである。

 

私の1年後には、どんな世界が待っているのだろう。

それは、今の私には想像できないものかも知れない。

 

1年前には想像してた?

 

答えはNo。こんなにも素晴らしい世界が待っていたなんて。

「関西には戻らない覚悟」

「東京に出てきた時点で、もう関西には戻らない覚悟だったんですよね。」

 

2018年4月号のポポロ内の連載にて、紫耀くんが語った言葉だ。

誤解を招きかねない暴露にも近い発言かもしれない。

当の本人も、反応を見越して「ちょっと冷たい言い方に聞こえたらごめんなさい。」と断ってから発言している。

そんなところがまた、紫耀くんらしい。起こりある反応を即座に予測して、波風が立たないよう先回りの配慮をする。

 

そもそも、2015年の日経エンタでも同じような発言をしたことがあった。

「関西にはもう未練はない」と言い切ったのだ。

なんてリスキーな発言をするんだろう、と思ったが、彼がこうしてはっきりと意思を伝えてくれたお陰で、随分とファン活動が円滑になった覚えがある。

彼はこうして、何度でも自分の覚悟を、決意を、それとなく伝えてきてくれていた。

捨てる、とか、忘れる、という訳ではなく、関西での経験を携えて現状より更に高みを目指す、と。

 

それでも、今回のポポロでの言葉を読んで、やはり心無い言葉を放つ人がいた。

一定数いるだろうとは予想していたけれど、これを機に『担降り』なんてワードまで話題に上がってしまったから困りものだ。

言葉、特に日本語は"ふくみ"を持っている。英語で言うところのimplicationだろうか。これは、行間とも言うべきものであり、ある種読み手の想像力に委ねられるところが大きい。

1つの言葉には無数の解釈があり、それを無意識のうちに選択して、自分なりの理解を構築する。

その上、雑誌などで読むことのできるインタビューなどは、声のニュアンスも削ぎ落とされるため、ますますこちらの解釈によって捉え方は無限大に広がる。

そんな中で、紫耀くんの言葉を拾って「悪意」で塗り固められたような穿った見解を示す人たちがいる。

 

やるせないなぁ、と思う。

そんな風に捉えたって誰も得しないのに。嫌いだ!担降りだ!と叫べば叫ぶほど、貴女自身が傷つくだけなのに。

ただ、こうした齟齬があった時に「そう捉えられてしまう表現をしたのが悪い」と批判される。私はそれも納得がいかない。

世界は、いろんな人が集まっているから、1つの事象に対して世界中の人全員が同じ考えを持つなんてことはあり得ない。

誰からも誤解されない、批判されない、なんてことは到底不可能なのだ。

 

そして今日、平野紫耀くんが松竹座に見学に来た。

映画の宣伝やCM撮影、TBSドラマの撮影と、今までのどの時期よりも多忙を極める今この時に、彼は原点である大阪へと足を運んだのだ。

まいジャニに出なくなり、完全に東京に移行した2015年夏以来、実に2年半ぶりだ。

そこに私や友人は、「覚悟」を見る。

彼は、戻らない覚悟で東京に行った。

そして、デビューというスタートラインに立つこととなった今、1つの思いを成し遂げた今だからこそ、松竹座にやって来たのだ。

デビューするまでは行くまい、と腹を括っていたのだろう。

何という男だろう。

カッコよすぎる。これが、男「平野紫耀」だ。

 

これまで何度も、「何故、紫耀くんは頑として松竹座に見学に行かないのか?」という議論を交わして来た。

ほぼ同じタイミングで上京した廉くんが、彼とは対照的に欠かすことなく(いつしかのクリパは行けなかったよね)松竹座に現れていただけに、尚更不思議でならなかった。

きっと理由があるのだろう、と思っていた。「事務所に行くなと言われているのだろうか?」とか、「関西に泊まるところがないからかな?」とか。

つまらない言い訳みたいなことしか思い浮かばなかった。

 

でも、このタイミングで。

誰よりも忙しい彼が、いの一番で。

挨拶だと思った。ケジメをつけに来たのだ。

 

だがしかし、結局いまSNS上で飛び交うのは、「なんで今更?」「担降りが嫌だったの?」という心無い言葉だ。

平野くんが今更、担降りなんかを気にするであろうか。

彼は、今、SNSなんか見ている暇は微塵もないだろうと思う。

それに、勝手に期待を押し付けておいて、裏切られた!と去って行くようなファンは、追いかけたりしないと思う。

しかも、なにが腹がたつってこういう発言を大きな声でしているのが「他担」さんである点だ。

放っておいてほしい。そりゃ、貴女たちには分からないかもしれませんね、だって平野くんの言葉をずっと拾い続けてきてないんでしょうから。

 

何を言っても、何をしても、平野くんに攻撃する人がいるのならばもう、何も伝えてくれなくていいよ、と思う。

私は彼に傷ついて欲しくないし、ファンである私だって傷つきたくないのだ。

私は私が見たものしか知らない

なんの歌のタイトルだろうか、と思う。この記事のタイトルである。

何かポエムを読みたくなったわけでもないし、詠みたくなったからといって詠める才は残念ながら持ち合わせていない。

 

ただ、今日ふとそう思う場面に立ち会った。

 

今日、私事ではあるが、中学時代からの親友の結婚式に参列した。

大変和やかな中執り行われた式は、非常に温かく、そして愛に溢れた時間であった。

私は、この友人のことが大好きである。中学生の時からずっと、会うたびにふざけたことばかり言い合って、大きな声で笑いながら、共に成長した。大らかで優しいのに、芯が強い。高校生の時には、くだらない話をしたり、進路について相談したり。いつも優しく「きっとできるよ!」と励ましてくれた。

進学大学は異なったけれど、定期的に会っていろんな話をした。もちろん彼のことも。

そしてついに、そんな彼女の結婚式の日がやってきた。そこで、彼女の大学時代の友人による様々なムービーを見た。現在の職場の仲間たちと笑い合う姿を見た。

少し寂しいと思った。

そして気づく。

私が本当に知っていたのは、中高の6年間の彼女だけなのだと。

共有していた時間はたった6年間の思い出に過ぎない、と。

私が知らない間に、彼女が積み重ねてきた歴史がそこにはあって、

それをこうして知ることができる機会に恵まれたのだなぁ、と。

しかしながら、共に過ごした6年間は何物にも代えがたい、かけがえのない宝物であることに違いない。

 

これはもちろん他の誰にも当てはまることなのだと思った。

 

私は平野くんの語る言葉を聞いて、よく「平野くんらしい」と思う。

でもそれは、あくまで私がファンとして享受できる程度の情報から私が作り上げた「平野くん」らしいに過ぎない。

彼には彼の、積み重ねている歴史があって、それは私の知るところではない。

でも、ハピアイのパンフレットで東山さんがおっしゃっていた。

「今日君に出会うために、僕らの歴史を積み重ねてきた」

知らない過去や時間よりも、大切なのは目の前に見えている私の目に映る「事実」なのだ。

今日のように、少し寂しく感じてしまうことは、ファン活動においても私生活においても多々起こることだろうと思う。

だけど、私にとって大切なのは、私自身が感じていること。

それを再確認した1日であった。

6か3+3か

King&Princeのデビューに際し、平野紫耀くんからの直談判があって

この6人でのデビューという形になった、という報道がなされた。

 

正直、意外だった。

きっと皆様も同じ気持ちだったのではないだろうか。

平野くんが自分から何かを強く主張する場面に、初めて立ち会ったのだ。

これまで彼は、「受け身」だった。

グループの変遷は「クラス替え」のようなものと表現した。つまり、彼の一存ではどうにもしようのない采配なのだと。

元のグループのメンバーも今のメンバーも大切な仲間だが、今の運命を受け止める、と言っていた。

それはアイドルとして極めて正当であり、理想的な態度であると私は思っていた。

アイドルは、ファンに求められて初めてアイドルとなる。自分がしたいことを表現するアーティストとはまた別の極めて特異的な存在であると私は思っている。

だから、平野くんを好きになってから、彼が「目の前のことに全力で取り組むようにしている」「明日のことは今日考えない」と明言しているのを見聞きしては、とても私の思う「理想のアイドル」だと認識してきた。

 

彼は、求められたことに「No」とは言えなかった。何かを主張したり、顕示したりすることを苦手としているように見受けられた。

誰もが無理だと思う演出に「できません」といったことを何ヶ月も引きずってしまうほどに、彼にとって「求めに応じないこと」は重罪だったのだ。

 

 

そんな平野くんが、「この6人でCDデビューをしたい」と申し出た。”主張”をしたのである。

それほどまでに、彼にとってこの6人が大切だったのだろう。

もしかするとジャニーさんには渋られたのはないかと思っていた。

「3人でも十分うまくやっているのに」という発言に、少しにじみ出ているようにも感じられた。

正直、そこが一抹の不安を感じさせる部分だった。

 

キンプリはそもそもが「期間限定」と銘打って立ち上げられたグループであった。

結成当初は直接、「デビューはまだまだ」と通達までされていた。

その後、期間延長を表明しても、あっさりと社長から「秋からは別々で」と解体を宣告されてしまったのだ。

別々の道を歩みながらも、平野くんはPrinceの3人が大好きなんだなぁと思わされる場面が多々あった。

前回、ハワイに行った時もこの6人であることを喜んだし、プライベートではじぐいわの2人を含む”いつメン”で遊ぶことばかりだった。

Jr.にQや雑誌の近況でも頻繁に「玄樹」「神宮寺」の名前が挙がったし、"VS"でなくなってからも彼はPrinceを強く意識していた。

たまにシブヤノオトなどで共演すれば、これまで以上に張り切って踊るようになった。

平野担さんとお話しするたび、「紫耀くんはキンプリが好きなんだね」という話をよくしたものであった。

 

「僕にはそんな発想がなかった」と語る社長の根本的なフィーリングは、2年半前から大きくは変わっていないのだろう。

しかし、平野くんの熱意にジャニーさん自身が心打たれたのか、気づくことがあったのか。

Mr.KINGとPrinceというグループ内ユニットは保存のままという形をとるところに、わずかばかりの社長の意地は感じないでもないけれど、

それはこちらの邪推というものであって、あくまで現行のファンの気持ちを汲んでのことなのだろうとも思う。

そして、快諾されたとも取れる表現もあったことからも、社長はきっと反対していたわけではないのだ、と知る。

 

6人で、と言われた。その瞬間に「受け入れなければならない」と思った。

提供された形を愛すると決めていた。

だけど、そううまくは適応できていなかったところに、幸運にもハピアイを見る機会に恵まれた。

紫耀くんが、生き生きしていた。

楽しそうだった。

ハピアイがNHKで取り上げられ、キンプリの6人が並んでコメントしていた。

今まで見た中で、最も精悍で凛々しい表情をした平野くんがそこにはいた。

あぁ、これが彼の望んだ世界なのだ、と。

ここまで活気に満ちた明るい表情をするのだ、と。

そしてFCができ、会員動画で6人で楽しそうに話す姿を見た。

本当に生き生きしている。

これ以上、何を望もう。

6人を愛することができそうだ、と思った。なんて簡単なんだろう、と思われるかもしれない。

でもファンなんて、そんなものではなかろうか。自担が幸せそうなら、何もかもが輝いて見えるものだ。

まだCDも出していない。それなのにFCには3日で7万もの会員登録があった。

きっと大丈夫。出だし順調。

 

そして、これから例え壁にぶち当たったとしても、平野くんならば、この6人ならば。

花のち晴れ、出演おめでとう!!!

衝撃のデビュー発表から、1週間がたった。いや、体感としては「まだ1週間しか経ってないのか…」である。

その間にももう一つ、嬉しいお知らせがあった。

TBSドラマ「花のち晴れ」に、神楽木晴役で平野紫耀くんが出演するというお知らせだ。

待ちに待ったドラマ出演。

良質なドラマを次々と排出しているTBSの火曜10時枠。

しかも、伝説のドラマ花男の続編として話題性も抜群である。

主演は杉咲花ちゃん。他、中川大志くんも出演する。

正直、とても力が入っていると感じる。

ついにきた。平野紫耀が世にその名を轟かせる大チャンスである。

 

これまで、「どんだけ待たせるの…」とため息をつくばかりであったが、いざ世に放つとなればちゃーーーーんとお膳立てして、レール敷いて、やれるだけのことはやってくれる感じ。

やはりこの事務所は、芸能界を牽引するリーディングプロダクションだなぁと思う。(小声)

 

私は、平野くんを応援し始めてからずっと、この時を待っていた。

平野紫耀はいずれデビューする。その時にはきっと、ゴールデン・プライム帯のドラマに出て、世に一気に見つかるはずだ!

とイメージしていた。

その構想が今、現実となった。思い描いた一場面にようやく立ち会っているのである。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。

たまらない。平野紫耀の見せてくれる世界が美しすぎる。

だから、さらにその先を思い描いてしまう。

いずれは国民的に名の知れるアイドルとなり、ドラマやCMへ起用はごくありふれた事象となる。ドーム常連となって、年末の音楽番組やカウコンはもちろん、紅白歌合戦にも出演する。

俳優業もこなし、一般の方にもたくさん認知され、情熱大陸にも出て欲しい。

夢はとどまることを知らない。

 

このように、デビューを基軸にファンを続けていたから、むしろここまでの道のりが想定よりも長〜くて険しくて驚いた。

途中、息がきれるかと思った。

紫耀君じゃなきゃ、ここまで応援続けていられなかったと思う。と同時に、もっと長く応援し続けている先輩方を尊敬するばかりである。

デビューしたら燃え尽きて担降りするかも、という予感さえあった。

しかし実際には、そんな気配は全くない。

むしろ、ここからやっと新しいステージが始まるのだとワクワクしている。

 

私自身、この春から就職活動が始まる。

3月には説明会が順次始まり、4月5月6月と就職試験日程も立て込んでいる。

そんな中、honeyは公開されるわ、ドラマは始まるわ、デビューシングル発売されるわ、それに伴ってツアーやイベントもあるであろうと予想されるわ、

もうすでに多忙の極みである。

 

だけど、デビューも就職活動も、私の人生で1度しかない大切なイベントだ。

どちらも手を抜くわけにはいかない。(?)

自担の輝かしい活躍に活力を得ながら、最後まで頑張ろうと思う。

 

だから、いつもありがとう紫耀くん!本当におめでとう!!

お札に載る夢、叶えようね!

私も夢に向かって頑張ります!!

 

と届くことのない感謝を心の中で唱えつつ、勉強に戻ることにする。

はぁ、春よ来い!

デビュー

2018.01.17

King&Princeデビュー発表。

 

私は、この知らせを友人からのLINEで知った。

平野紫耀くんを好きになってから丸3年、ずっと待ち続けてきた、まさに待望のお知らせであった。

本当におめでたい。嬉しい。でもまだどこかふわふわしていて、やっと実感が湧いてきたような、まだ不安なような、不思議な気持ちである。

 

知らせを聞いた帰り道、寒空の下思い返したのは、紫耀くんを好きになってから今までの様々な出来事であった。

紫耀くんを好きになった当初は、「もうすぐデビュー」「デビューに最も近い」ジュニアの一員だと聞かされていた。

見れば見るほど心惹かれていき、デビューのみならず

彼なら国民的アイドルになれると確信するようになった。

だから、当時大好きだった嵐と”掛け持ち”をして、本当にデビューしたら担降りしようと心に決めていた。

 

しかし、待てど暮らせどその知らせは届かなかった。

何か動きがある度に、「デビューの兆しなのでは」との期待に胸を膨らませたが、それが叶うことは今日までなかった。そして次第に、諦めの境地に達していき、「期待はしない」という方法で自分が傷つかないように予防線を張ってきたのだ。

 

それでも、この3年間、紫耀くん自身が、私の期待を悪い意味で裏切ることはなかった。

いつだって彼は、予想だにしない方法で私の期待を遥かに飛び越えて見せた。

 

一番は、忘れることのできないJOHNNYS' Future WORLD。通称ジャニフワ。

後にも先にもこれを超える舞台はないだろうと思っている。

彼は ジャニーズJr.として「座長」を務めた。博多座に関しては、最年少座長である。

この舞台の座長としてだけではなく、彼は主役としても大活躍であった。

ほとんどが出番。二幕の休憩は5分しかないのだと、笑って話してくれた。

しかも、博多座と梅芸という二会場で、足掛け2か月に渡って上演した。誰もが一目見て「これ以上ないほどハードだ」と認識するような大役を、彼は1日たりとも休むことなく、穴をあけることなく、完遂したのだ。

「体大丈夫?」と言われるたび、「大丈夫です!」「昔から体は丈夫なので!」と笑顔で答え続けた。

そして後になって、「実は体調を崩してしまって…」とポロっとこぼす。廉くんにより、それが盲腸という大事であったことが明かされる。

彼という人は、そうやって自分の限界を超えてでも、ファンの愛に応えてくれる。見たことのない景色をたくさん見せてくれた。

この彼の頑張りが、どうか報われますように、と願わずにはいられなかった。

ジャニフワの発表以来、私は平野くんのことしか考えていなかったし、あんなにも夢中だった嵐さんを見る余裕など無くなっていた。

自然と、気がつかないうちに、担降りをしていたようであった。

なんという求心力であろう。きっかけにすると決めていたデビューを待たずして、変わらず大好きだと思える二宮和也を降りざるをえないほどに、平野紫耀くんへの愛情は膨らんでいたのだった。

Jr.担になることは初めての経験であり、不安も多くあったはずだが、それも含めて腹をくくれるくらい、平野紫耀くんは信頼できるアイドルだったし、彼自身が誰よりも実績を積んで証明してくれた。

テレ朝祭りサポーター、座長、写真集、外部雑誌表紙、MATCHのCM、映画主演×2

そのどれもが、望めば叶うものではない。彼の運と、才能と、たゆまぬ努力によって叶ってきたものだ。

 

また、紫耀くんを好きになったことで、さらなるたくさんの出会いもあった。

ずっと、Jr.担のお友達が作れず苦労していた頃に、一人優しく声をかけてくれた方がいた。

初めて会う新規ファンの私に対しても、「歴なんて関係ないよ。紫耀担さんはみんなお友達だよ。」と温かく迎え入れてくださり、私が知らなかった頃の紫耀くんの話をしてくれたり、DVDを焼いてくださったり。

お返しと言えるほどでもないが、2枚で取れたチケットがあれば一緒に入ってもらったりもしていた。

数え切れないほどお世話になったし、ファンとしてのマナーを教えていただき、いろんな場所にも連れて行ってもらった。そして、その方を通して、たくさんの素敵なお友達も作ることができた。

友達の輪が広がり、関西に住んでいると放送されない番組も、お友達が救済してくれるというありがたい経験もするようになった。

平野くんの活躍がある度、共有できる仲間ができたことがとても嬉しかった。

不思議な縁で、紫耀くんが入所してすぐ(まいジャニ初出演時)からファンをしている人とも、知り合った。紫耀くんのファンがまだ少なかった頃のエピソードや、ずっと変わらない紫耀くんの魅力を教えてくれた。

 

紫耀くんが連れて行ってくれる場所、見せてくれる景色、伝えてくれる言葉、結んでくれる縁、どれもが尊くて愛おしくて、私の人生を色鮮やかに彩ってくれた。

 

感謝してもしきれない。

だからこそ、彼には幸せになってほしいと。彼の頑張りが、どうか報われてほしいと。そう願い続けてきたのだ。

 

そして、一つ。スタートラインに立つ時が来た。

奇しくも今日、1/17という日が選ばれた。

そう、23年前に阪神淡路大震災のあった日だ。

私は当時、まだ幼く記憶も鮮明ではない。しかし、あの大きな揺れと直後に父親が家族に覆いかぶさって守ってくれた光景は今でも脳裏に焼き付いている。

学校でも「幸せ運べるように」と歌い、忘れてはならない日として黙祷を捧げてきた。

歴史に残る悲劇があったこの日だからこそ、幸せなニュースを。明るい未来につながる瞬間を。

きっと今日という日も、一生忘れることはできない。

 

これから、どんな景色を見せてくれるのだろう。

きっと平坦な道のりではない。だってこれまでもそうだったから。

でも、信じてついていきたいと思える。そう思わせてくれる。

彼が創造する物語を、拓いていく道なき道を、これ以上ないほど堪能させていただこう!

 

本当に、ありがとう。そして、おめでとう。

 

とにかく、今の気持ちや思い出を徒然なるままにぶつけてみた。

まとまりのない駄文を長々と申し訳ない。

ただ、今日という日は二度と来ないから、今日のうちに。

帰属意識

昨年の秋、Mr.KINGの3人はそれぞれ個々に研鑽を積んだ。

平野紫耀くんは、初座長舞台「Johnnys' Future World」にて主役兼座長としてその重役を完璧に務め上げた。

一方で、髙橋海人くんは「Dream Boys」にて存在感を遺憾無く発揮し、数々の賞賛を浴びていた。

そして、永瀬廉くんは大学受験のために勉強に励み、見事合格を勝ち取った。

 

そんな時期を超えてから、少しずつ紫耀くんの発言に変化が現れ始めた。

 

Mr.KINGはホーム」と明言するようになったのである。

 

そして、時を経て2017年。

平野紫耀初単独CM「ビタミン炭酸MATCH」

初主演映画「honey

続けて、主演映画「ういらぶ。」

平野くんの個人での仕事が、立て続けに発表された。そして、実際に撮影はもういずれも終了している。

 

そうした個人仕事を経るたび、紫耀くんの口から「帰属意識」の発露とも取れる発言が多く出てくるようになった。

 

これが、初めはとても不思議に思えた。

帰属意識というものは、そのコミュニティでの活動を通して実感してくものではないのか。個人での仕事を経て、それが強まることなど、あるのだろうか?

個人での仕事をすることで、グループを軽んじているように感じられることへの予防線かもしれない。

 

しかし、考えてみれば、このように「 外界に出た後こそ帰属意識の高まりを感じる」という現象自体、すごく自然なことだ。なぜならば、そのコミュニティ内にいる間は周囲も一様にそのコミュニティに属しているが、いざ外に出てみて初めて、そのコミュニティに属していることが自分のアイデンティティとして色濃く浮かび上がってくるからだ。

具体的に言うと、Mr.KINGで活動しているときは隣にいる2人もMr.KINGであり、Mr.KINGの一員であることは紫耀くんのアイデンティティにはならない。ジャニーズという枠組み自体も同じである。

一方で、個人仕事における現場はいわゆる外界であり、そこでは自分のアイデンティティは「Mr.KINGのメンバーであること」「ジャニーズのタレントであること」になる。

 

そうして、自らの要素として所属するコミュニティを意識するようになる。そうした経験が、帰属意識を高めさせる一因にもなっているのだろう。

 

また、外界においてピンと張っていた緊張の糸が、いつもの2人の元に戻れば緩まった、というのもまた事実なのだろうと思う。

自分の帰ってくる場所として認識できた、と言う。

 

とても時間がかかった、と感じた。

それは、初めてのグループではないからではないかと推察する。一度、離れてしまう経験をしたから。帰属意識を持ってしまうことで、別れが余計に辛くなることを知ってしまったから。ジュニアの段階ではグループに固執しないことが賢明だ、とも感じていたのかもしれない、と私は考えている。

 

しかし、時を経て今、グループとしての未来を紫耀くんが語るようになった。

そこに私は、男・平野紫耀の覚悟を感じる。

閉塞感を打破するために、自らの栄光を手にするために、グループで一丸とって邁進しなくてはならないと感じているのかもしれない。

 

そんな紫耀くんの覚悟を、応援したい、と強く思う。絶対、日の目を見よう。日本中の人に知ってもらおう!

その日まで私も、彼とともに"成長"を続けられるようなファンでありたい。