虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

平野紫耀に垣間見る「帝王学」

アイドルには様々な形がある。

例えば、今や主流となっているAKBグループは「会いに行けるアイドル」というコンセプトを掲げている。

握手会というファンとのコミュニケーションの機会を設けることにより、ファン1人1人がアイドルと1:1で対話することが可能なのだ。

一方で、ジャニーズは「偶像」としてのアイドル像を貫いていると感じる。

もちろん、求められるキャラクターの変遷はある。たとえば、嵐のような「親近感」を持てるようなアイドルが人気を博すという時代の流れである。されど、やはり彼らと対話する機会はほとんど提供されず、SNSなどのツールももちろん使用せず、ファンとのコミュニケーションは基本的に"アイドルからの発信"という一方通行の色が強い。

 

私は、こちらの従来の形こそアイドルの真髄であると感じている。

アイドルが発信する情報を元に、我々はそれらを統合し、繋ぎ合わせ、想像し、自らの愛する「理想像」を構築する。

そこに私は、幸せを感じるからだ。

対話などにより違和感を感じたり、自らの仮説にもにた理想像を否定されたり、そういった機会が増えることは、具体性を増す一方で、余白を減らすことになる。

だから私は、こちらの想像の余地を存分に残してくれる、ジャニーズが好きだ。

 

そのジャニーズの応援をしていると、往々にして1人のアイドルと多勢のファンとの対話という場面に出会うことが多い。

だから私は、アイドルにはある程度の「帝王学の習得」が求められると感じている。

アイドルにとってファンは、必要不可欠な存在である。サービス業で言うところの「顧客」に近い。ファンがいてこその、アイドルだからだ。

ただ、そのファンの中で「贔屓」をすることは好まれない。サービスは平等に提供されるべきなのだ。好みの子を優遇するなどの私情を挟む行為は、非難の対象となる。そこには「嫉妬」などといった感情を誘発することを嫌う意味合いもあるのだろうか。だとすれば、ある意味で色恋の様相も呈している。

このように要求される「公平性」や「感情の平伏化」といった要素は、「帝王学」に通じている。

帝王学 - Wikipedia

 

まず、一点目の「公平性」について。

ここに記載されているような、「皆に公平に、好悪に偏るべきでない」などといった部分に関しては、平野くんを応援して来て切に感じることが多い。

 

例えば、ファンサービス。

彼のファンサービスは基本的に、全体に対して行われることが多い。

もちろん、1人に対してファンサービスをすることがないわけではない。

しかし、その1人は"特定の"1人ではないのだ。まるで、ルーレットを回して決めたかのように、偶然その人に幸運が訪れる。

もちろん、平野くんの中にもファンの序列のようなものがあるのかも知れない。

ただ、その基準はいつも定性的で明瞭なものが多いようだ。(ex.ファン歴など。)彼の好み、などといった曖昧で主観によるもので決められることは、ほとんどないのではないかと思う。それに、年齢で人を差別することなく、老若男女に分け隔てなく接しているイメージがある。(データがあるわけではないので断言は避けておく。)

 

そして、ファンとの対話である。

彼がファンと対話する場面を何度か見たことがある。

例えば、EXシアターで行われていたサマステのMC。ファンとの距離も近く、ファンからの声に応ずることもあった。

ただ、そのような時でも彼は、自分の発言がその人だけに向けられるべきものではない、という自覚がある。

決して、1:1の対話ではなく、1から発されたものをキッカケとして全体と話をする。それが非常に巧い。

だれかファンの1人が質問するとする。まず彼がするのは、その質問内容をその場にいるファン全員に共有すること。次に、その質問に関わる基礎知識を提供し、聞き手側の理解を一様にする。(皆がその事実を同様に知っているわけではないことを彼は分かっている。)

そこから、丁寧に質問に答えはじめる。しかし、答えの中でも何か特定のものを勧めたり否定したりはしない。答えに窮する場合は、こちら側の意見を聞くなどして巧みにかわす。

彼は、非常に頭が良い。お勉強はしてこなかったようだが、それを超えて世を統べる才がある。

 

さらには、俯瞰で状況を判断することに長けている。

MC中に、メンバーが何か面白いことをしたとする。しかし、それが客席の一部にしか見えないという事態がたまに起こる。

そういう時に、見えていない側に回り込んで「こっち向いて見せて!」と声をあげるのが彼だ。

全体に満遍なく幸せが共有されるように、差が出てしまわないように、俯瞰して状況を見ることができる。

さらにこれには、素敵だなと思えるポイントがもう一点ある。

それは、彼自身が動いているという点である。

本来の目的は、お客さんみんなに見せてあげることにある。

しかし彼は、あちらにも見せてあげて、などという表現はしない。

自分がその見えていない側に溶け込み、「自分が見たいから、こちらにも向いて見せて」と持っていくのだ。なんて出来た人なんだろう…

 

話が逸れてしまったが、

このように、彼は何においても「公平性」を保つ。

 

次に「感情の平伏化」である。

これについては、これまでの彼のインタビュー記事を読んでいただきたい。

honeyの怒涛の映画誌ラッシュ時に、どの映画誌かで「どこかはぐらかされている印象を受ける」と言っている記者がいた。

まさしく、これだ。

彼は、自分に過度に干渉されることを好まないように感じる。

これ以上は入ってこないで、という線引きを感じる。それは、感情を読まれたくない、とも取れる。

あからさまに「ダメだ」と突き返すのではなく、サラリと交わしてしまう。聞きたい内容に対する明確な返答は受け取れないのに、質問者が傷つくことなく、そして不快に感じることもなく、気づいたら話の方向が変わっていたり、納得してしまっていたり。

非常に巧みに操ってゆく。

これも、人の上に立つものに必要な技術なのである。

 

これら二点を踏まえて、彼の振る舞いから帝王学が徹底的に叩き込まれていると感じる。

しかし一方で、本能的に知ってしまっていたのではないかと思っている自分もいる。

彼は生まれながらにして、「王」だったのだ。

ジャニーズに入ってからというもの、彼はKing of KansaiであるKinKan、Mr.KING、King&Prince、とずっとKingとして生きて来た。ジャニーさんから見て、彼は王者以外の何者でもないのであろう。

そこに私は、共感するとともに感動を覚える。

彼の根底にあるのは、「帝王学」だ。私は、彼を心から信頼している。彼が統べる国は、エネルギーに溢れているだけでなく、絶対に安泰だ。

 

だからずっと、夢を見させてほしい。

ずっと私の「虚像」であってほしい。

「平野くん」が見つかる世界

今しか感じることのできない、この何にも形容しがたい気持ちを記しておこうと思う。

 

 

私が平野くんを好きになってすぐに、彼は上京した。

正確には、松竹座に出演することがなくなった。これも思い返せば、あれが最後だったのか…と感じるもので、当時はまた戻るだろうと思っていた。

そして、クリエA6時代の到来である。

私はもう確信した。

「彼はこのままデビューする」と。

そして瞬く間にお茶の間を席巻し、いわゆるスターダムを駆け上がるだろう、と。

ラッキー!ジュニアのうちに知ることができて!とまで思ったものだ。

 

しかし、待っていたのは長〜い潜伏期間であった。

何年末のカウントダウンコンサートは平野くんの出演を少し期待しては、やはりそこに彼の姿はなく、

各局の年末音楽番組にも、当然出演はなく、

もっぱら「舞台」での活躍がメインだった。

もちろん、舞台上の彼は非常に大好きだ。輝いている。初めて帝劇で舞う彼を見たときには、感動で息を呑んだし、未だに最も心に残っている大切な作品は「JOHNNYS' FUTURE World」だ。

しかし一方で、悔しかった。

ジャニオタでさえ、一部のコアな人にしか興味を持ってもらえない。

ましてや、お茶の間の人々の目に触れる機会はほとんど無い。

絶対に、目に映るチャンスさえあれば彼は人を魅了する、という確信があった。

絶対に、目に留まる。人気が出る。

こんなに小さな場所に閉じ込められるべき才能では無いのだ…

 

そう思い続けても、主張し続けても、お知らせが来ることはなかった。

きっと彼らに原因があったわけではない。

環境要因であると考えている。

ジャニオタは、優秀な人材の宝庫であるがゆえ、詳細な分析が飛び交った。

ジャニーズ事務所を大きく揺るがすような事件があった。

その対策に追われ、デビューが見送られたのではないか、という意見がかなり的を射ているような気がする。

 

しかし、一件落着してもどこか混沌としていて、拭いきれない停滞感があった。

正直、「機を逸した」といった感覚があった。

じっと耐え続けるしかないのか、このまま世に放たれることなく、我々のようなファンだけにしか消費されないような、そんな箱に閉じ込めていていいのか。

 

そんな不安や悔しさを感じていた。

 

そんな中、ある日突然。

もう、「イベント」と言われても「いつものやつじゃん?」と流してしまうくらいに、マンネリ化してしまっていた日常に。

突然。

ずーっと待って、待って、待ち続けた素敵なお知らせが舞い込んだのだ。

しかも、それは、本人たちが相談に行った結果だというではないか。

こんなにも心動かされることはない。

本当に、驚いた。動悸が激しくなった。誇らしく、嬉しかった。

 

さらに、以前から噂されていた「花のち晴れ」の発表があった。

畳み掛けるように届くお知らせに、目まぐるしく日々は過ぎた。

 

そして。

 

様々なキッカケで、世間の目に触れるようになった今。

「平野くん」としての世の中に認知されるようになった。

夜会、モニタリング、VS嵐

どこに出ても、きちんと爪痕を残す。

 

ほらね!!!

私が信じていた通りだ!!

 

全くもって、私が鼻高々になる理由なんてないんだけれど、

もしかすると私の感じていることは世間とずれているのかもしれない、と凹んだ時期もあっただけに、

自分の信じた感性がやっぱり正しかったんだ、と確認できている今が本当に幸せなのだ。

彼はすごい。

彼は魅力的だ。

彼はスターだ。

 

信じてついてきて良かった。

これからも、信じていこうと思える。

 

さあ、ここがスタートラインだ。

1年前は、こんなこと想像してた?

今朝、(正確には昨日の朝)祖母と平野くんの活躍について話している際に問いかけられた。

「まさかこんなことになるなんて、1年前には想像してた?」

 

答えはもちろんNoである。

いつかは。

いつかはデビューというスタートを切れるはずだと信じていたはずなのに、

いつかは世の中に名を轟かすはずだと確信していたはずなのに、

まさか1年後にはその想いがこんなにも叶っているなんて思いもしなかった。

 

答えはNoだとわかりきった前述の問いに対して、より正確に答えるべく、1年前のことを想起していた。

すると4月13日という日付に既視感を抱いた。

そう、MATCHのCMのイベントの日だ。

平野紫耀 青春トークイベントとして平日に開催されたそれは、得体が知れないものであり「映画だろうか」「CMだろうか」「まさかソロデビューなんてことはないよね」なんて憶測が飛び交ったものであった。

いち早くその情報を得るため、実験しながらTwitterを追っていた覚えがある。

そして、CMおめでとう!と皆んなでお祝いしたことも、今までにないくらいMATCHを買ってさすがに飲み切れずに人に配ったことも、全て遠い昔のような気さえしてしまう。

何故なら、平野くんの活躍の幅が瞬く間に更新されてきたからだ。

 

勢いはとどまることを知らない。

 

そこから初主演映画の情報解禁があった。確か、5/6ではなかっただろうか。

その更に1年前の5/5にはジャニフワの情報解禁があり、ゴールデンウィークの終わりには必ず爆弾があるものなの?!と思った覚えがある。

加えて、もう一作品主演映画か決まった。

 

ドラマへの出演が決まった。

 

 

そして、待ちに待ったCDデビューが決まった。

 

私自身の人生においても、ターニングポイントと言えるこの時期に、彼もまた人生の節目を迎えていた。

今現在、彼の活躍に勇気をもらって、苦しい時を踏ん張っているところである。

 

私の1年後には、どんな世界が待っているのだろう。

それは、今の私には想像できないものかも知れない。

 

1年前には想像してた?

 

答えはNo。こんなにも素晴らしい世界が待っていたなんて。

「関西には戻らない覚悟」

「東京に出てきた時点で、もう関西には戻らない覚悟だったんですよね。」

 

2018年4月号のポポロ内の連載にて、紫耀くんが語った言葉だ。

誤解を招きかねない暴露にも近い発言かもしれない。

当の本人も、反応を見越して「ちょっと冷たい言い方に聞こえたらごめんなさい。」と断ってから発言している。

そんなところがまた、紫耀くんらしい。起こりある反応を即座に予測して、波風が立たないよう先回りの配慮をする。

 

そもそも、2015年の日経エンタでも同じような発言をしたことがあった。

「関西にはもう未練はない」と言い切ったのだ。

なんてリスキーな発言をするんだろう、と思ったが、彼がこうしてはっきりと意思を伝えてくれたお陰で、随分とファン活動が円滑になった覚えがある。

彼はこうして、何度でも自分の覚悟を、決意を、それとなく伝えてきてくれていた。

捨てる、とか、忘れる、という訳ではなく、関西での経験を携えて現状より更に高みを目指す、と。

 

それでも、今回のポポロでの言葉を読んで、やはり心無い言葉を放つ人がいた。

一定数いるだろうとは予想していたけれど、これを機に『担降り』なんてワードまで話題に上がってしまったから困りものだ。

言葉、特に日本語は"ふくみ"を持っている。英語で言うところのimplicationだろうか。これは、行間とも言うべきものであり、ある種読み手の想像力に委ねられるところが大きい。

1つの言葉には無数の解釈があり、それを無意識のうちに選択して、自分なりの理解を構築する。

その上、雑誌などで読むことのできるインタビューなどは、声のニュアンスも削ぎ落とされるため、ますますこちらの解釈によって捉え方は無限大に広がる。

そんな中で、紫耀くんの言葉を拾って「悪意」で塗り固められたような穿った見解を示す人たちがいる。

 

やるせないなぁ、と思う。

そんな風に捉えたって誰も得しないのに。嫌いだ!担降りだ!と叫べば叫ぶほど、貴女自身が傷つくだけなのに。

ただ、こうした齟齬があった時に「そう捉えられてしまう表現をしたのが悪い」と批判される。私はそれも納得がいかない。

世界は、いろんな人が集まっているから、1つの事象に対して世界中の人全員が同じ考えを持つなんてことはあり得ない。

誰からも誤解されない、批判されない、なんてことは到底不可能なのだ。

 

そして今日、平野紫耀くんが松竹座に見学に来た。

映画の宣伝やCM撮影、TBSドラマの撮影と、今までのどの時期よりも多忙を極める今この時に、彼は原点である大阪へと足を運んだのだ。

まいジャニに出なくなり、完全に東京に移行した2015年夏以来、実に2年半ぶりだ。

そこに私や友人は、「覚悟」を見る。

彼は、戻らない覚悟で東京に行った。

そして、デビューというスタートラインに立つこととなった今、1つの思いを成し遂げた今だからこそ、松竹座にやって来たのだ。

デビューするまでは行くまい、と腹を括っていたのだろう。

何という男だろう。

カッコよすぎる。これが、男「平野紫耀」だ。

 

これまで何度も、「何故、紫耀くんは頑として松竹座に見学に行かないのか?」という議論を交わして来た。

ほぼ同じタイミングで上京した廉くんが、彼とは対照的に欠かすことなく(いつしかのクリパは行けなかったよね)松竹座に現れていただけに、尚更不思議でならなかった。

きっと理由があるのだろう、と思っていた。「事務所に行くなと言われているのだろうか?」とか、「関西に泊まるところがないからかな?」とか。

つまらない言い訳みたいなことしか思い浮かばなかった。

 

でも、このタイミングで。

誰よりも忙しい彼が、いの一番で。

挨拶だと思った。ケジメをつけに来たのだ。

 

だがしかし、結局いまSNS上で飛び交うのは、「なんで今更?」「担降りが嫌だったの?」という心無い言葉だ。

平野くんが今更、担降りなんかを気にするであろうか。

彼は、今、SNSなんか見ている暇は微塵もないだろうと思う。

それに、勝手に期待を押し付けておいて、裏切られた!と去って行くようなファンは、追いかけたりしないと思う。

しかも、なにが腹がたつってこういう発言を大きな声でしているのが「他担」さんである点だ。

放っておいてほしい。そりゃ、貴女たちには分からないかもしれませんね、だって平野くんの言葉をずっと拾い続けてきてないんでしょうから。

 

何を言っても、何をしても、平野くんに攻撃する人がいるのならばもう、何も伝えてくれなくていいよ、と思う。

私は彼に傷ついて欲しくないし、ファンである私だって傷つきたくないのだ。

私は私が見たものしか知らない

なんの歌のタイトルだろうか、と思う。この記事のタイトルである。

何かポエムを読みたくなったわけでもないし、詠みたくなったからといって詠める才は残念ながら持ち合わせていない。

 

ただ、今日ふとそう思う場面に立ち会った。

 

今日、私事ではあるが、中学時代からの親友の結婚式に参列した。

大変和やかな中執り行われた式は、非常に温かく、そして愛に溢れた時間であった。

私は、この友人のことが大好きである。中学生の時からずっと、会うたびにふざけたことばかり言い合って、大きな声で笑いながら、共に成長した。大らかで優しいのに、芯が強い。高校生の時には、くだらない話をしたり、進路について相談したり。いつも優しく「きっとできるよ!」と励ましてくれた。

進学大学は異なったけれど、定期的に会っていろんな話をした。もちろん彼のことも。

そしてついに、そんな彼女の結婚式の日がやってきた。そこで、彼女の大学時代の友人による様々なムービーを見た。現在の職場の仲間たちと笑い合う姿を見た。

少し寂しいと思った。

そして気づく。

私が本当に知っていたのは、中高の6年間の彼女だけなのだと。

共有していた時間はたった6年間の思い出に過ぎない、と。

私が知らない間に、彼女が積み重ねてきた歴史がそこにはあって、

それをこうして知ることができる機会に恵まれたのだなぁ、と。

しかしながら、共に過ごした6年間は何物にも代えがたい、かけがえのない宝物であることに違いない。

 

これはもちろん他の誰にも当てはまることなのだと思った。

 

私は平野くんの語る言葉を聞いて、よく「平野くんらしい」と思う。

でもそれは、あくまで私がファンとして享受できる程度の情報から私が作り上げた「平野くん」らしいに過ぎない。

彼には彼の、積み重ねている歴史があって、それは私の知るところではない。

でも、ハピアイのパンフレットで東山さんがおっしゃっていた。

「今日君に出会うために、僕らの歴史を積み重ねてきた」

知らない過去や時間よりも、大切なのは目の前に見えている私の目に映る「事実」なのだ。

今日のように、少し寂しく感じてしまうことは、ファン活動においても私生活においても多々起こることだろうと思う。

だけど、私にとって大切なのは、私自身が感じていること。

それを再確認した1日であった。

6か3+3か

King&Princeのデビューに際し、平野紫耀くんからの直談判があって

この6人でのデビューという形になった、という報道がなされた。

 

正直、意外だった。

きっと皆様も同じ気持ちだったのではないだろうか。

平野くんが自分から何かを強く主張する場面に、初めて立ち会ったのだ。

これまで彼は、「受け身」だった。

グループの変遷は「クラス替え」のようなものと表現した。つまり、彼の一存ではどうにもしようのない采配なのだと。

元のグループのメンバーも今のメンバーも大切な仲間だが、今の運命を受け止める、と言っていた。

それはアイドルとして極めて正当であり、理想的な態度であると私は思っていた。

アイドルは、ファンに求められて初めてアイドルとなる。自分がしたいことを表現するアーティストとはまた別の極めて特異的な存在であると私は思っている。

だから、平野くんを好きになってから、彼が「目の前のことに全力で取り組むようにしている」「明日のことは今日考えない」と明言しているのを見聞きしては、とても私の思う「理想のアイドル」だと認識してきた。

 

彼は、求められたことに「No」とは言えなかった。何かを主張したり、顕示したりすることを苦手としているように見受けられた。

誰もが無理だと思う演出に「できません」といったことを何ヶ月も引きずってしまうほどに、彼にとって「求めに応じないこと」は重罪だったのだ。

 

 

そんな平野くんが、「この6人でCDデビューをしたい」と申し出た。”主張”をしたのである。

それほどまでに、彼にとってこの6人が大切だったのだろう。

もしかするとジャニーさんには渋られたのはないかと思っていた。

「3人でも十分うまくやっているのに」という発言に、少しにじみ出ているようにも感じられた。

正直、そこが一抹の不安を感じさせる部分だった。

 

キンプリはそもそもが「期間限定」と銘打って立ち上げられたグループであった。

結成当初は直接、「デビューはまだまだ」と通達までされていた。

その後、期間延長を表明しても、あっさりと社長から「秋からは別々で」と解体を宣告されてしまったのだ。

別々の道を歩みながらも、平野くんはPrinceの3人が大好きなんだなぁと思わされる場面が多々あった。

前回、ハワイに行った時もこの6人であることを喜んだし、プライベートではじぐいわの2人を含む”いつメン”で遊ぶことばかりだった。

Jr.にQや雑誌の近況でも頻繁に「玄樹」「神宮寺」の名前が挙がったし、"VS"でなくなってからも彼はPrinceを強く意識していた。

たまにシブヤノオトなどで共演すれば、これまで以上に張り切って踊るようになった。

平野担さんとお話しするたび、「紫耀くんはキンプリが好きなんだね」という話をよくしたものであった。

 

「僕にはそんな発想がなかった」と語る社長の根本的なフィーリングは、2年半前から大きくは変わっていないのだろう。

しかし、平野くんの熱意にジャニーさん自身が心打たれたのか、気づくことがあったのか。

Mr.KINGとPrinceというグループ内ユニットは保存のままという形をとるところに、わずかばかりの社長の意地は感じないでもないけれど、

それはこちらの邪推というものであって、あくまで現行のファンの気持ちを汲んでのことなのだろうとも思う。

そして、快諾されたとも取れる表現もあったことからも、社長はきっと反対していたわけではないのだ、と知る。

 

6人で、と言われた。その瞬間に「受け入れなければならない」と思った。

提供された形を愛すると決めていた。

だけど、そううまくは適応できていなかったところに、幸運にもハピアイを見る機会に恵まれた。

紫耀くんが、生き生きしていた。

楽しそうだった。

ハピアイがNHKで取り上げられ、キンプリの6人が並んでコメントしていた。

今まで見た中で、最も精悍で凛々しい表情をした平野くんがそこにはいた。

あぁ、これが彼の望んだ世界なのだ、と。

ここまで活気に満ちた明るい表情をするのだ、と。

そしてFCができ、会員動画で6人で楽しそうに話す姿を見た。

本当に生き生きしている。

これ以上、何を望もう。

6人を愛することができそうだ、と思った。なんて簡単なんだろう、と思われるかもしれない。

でもファンなんて、そんなものではなかろうか。自担が幸せそうなら、何もかもが輝いて見えるものだ。

まだCDも出していない。それなのにFCには3日で7万もの会員登録があった。

きっと大丈夫。出だし順調。

 

そして、これから例え壁にぶち当たったとしても、平野くんならば、この6人ならば。

花のち晴れ、出演おめでとう!!!

衝撃のデビュー発表から、1週間がたった。いや、体感としては「まだ1週間しか経ってないのか…」である。

その間にももう一つ、嬉しいお知らせがあった。

TBSドラマ「花のち晴れ」に、神楽木晴役で平野紫耀くんが出演するというお知らせだ。

待ちに待ったドラマ出演。

良質なドラマを次々と排出しているTBSの火曜10時枠。

しかも、伝説のドラマ花男の続編として話題性も抜群である。

主演は杉咲花ちゃん。他、中川大志くんも出演する。

正直、とても力が入っていると感じる。

ついにきた。平野紫耀が世にその名を轟かせる大チャンスである。

 

これまで、「どんだけ待たせるの…」とため息をつくばかりであったが、いざ世に放つとなればちゃーーーーんとお膳立てして、レール敷いて、やれるだけのことはやってくれる感じ。

やはりこの事務所は、芸能界を牽引するリーディングプロダクションだなぁと思う。(小声)

 

私は、平野くんを応援し始めてからずっと、この時を待っていた。

平野紫耀はいずれデビューする。その時にはきっと、ゴールデン・プライム帯のドラマに出て、世に一気に見つかるはずだ!

とイメージしていた。

その構想が今、現実となった。思い描いた一場面にようやく立ち会っているのである。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。

たまらない。平野紫耀の見せてくれる世界が美しすぎる。

だから、さらにその先を思い描いてしまう。

いずれは国民的に名の知れるアイドルとなり、ドラマやCMへ起用はごくありふれた事象となる。ドーム常連となって、年末の音楽番組やカウコンはもちろん、紅白歌合戦にも出演する。

俳優業もこなし、一般の方にもたくさん認知され、情熱大陸にも出て欲しい。

夢はとどまることを知らない。

 

このように、デビューを基軸にファンを続けていたから、むしろここまでの道のりが想定よりも長〜くて険しくて驚いた。

途中、息がきれるかと思った。

紫耀君じゃなきゃ、ここまで応援続けていられなかったと思う。と同時に、もっと長く応援し続けている先輩方を尊敬するばかりである。

デビューしたら燃え尽きて担降りするかも、という予感さえあった。

しかし実際には、そんな気配は全くない。

むしろ、ここからやっと新しいステージが始まるのだとワクワクしている。

 

私自身、この春から就職活動が始まる。

3月には説明会が順次始まり、4月5月6月と就職試験日程も立て込んでいる。

そんな中、honeyは公開されるわ、ドラマは始まるわ、デビューシングル発売されるわ、それに伴ってツアーやイベントもあるであろうと予想されるわ、

もうすでに多忙の極みである。

 

だけど、デビューも就職活動も、私の人生で1度しかない大切なイベントだ。

どちらも手を抜くわけにはいかない。(?)

自担の輝かしい活躍に活力を得ながら、最後まで頑張ろうと思う。

 

だから、いつもありがとう紫耀くん!本当におめでとう!!

お札に載る夢、叶えようね!

私も夢に向かって頑張ります!!

 

と届くことのない感謝を心の中で唱えつつ、勉強に戻ることにする。

はぁ、春よ来い!