虚像を愛する

だいたい寝言

ジャニと私 高校生〜現在 編

高校生になった。と、いっても高校受験はなかったので、むしろ大学受験に向けてギアチェンジしましょうといったところ。

塾に通う頻度ももちろん増えた。

そんな中で、ジャニーズは私の心の支柱と化していく。

あの、アツいアツい2005年を経て、私の趣味にドラマ鑑賞が刻み込まれてしまった。

また、当時はHEY!HEY!HEY!やうたばん。Mステなど、音楽番組に富んでいた。

それらもどれも、録画してチェック。

そんな中で1番気になった歌が

嵐の「きっと大丈夫」だった。

爽やかなメロディーにのせて、あまり意味のわからない英語の混じった歌詞や、合コン?とも思わせるような内容のカッチョいいラップが繰り広げられる。

毎日、繰り返しみるものだから振り付けは覚えてしまった。

たまたま、超嵐ヲタの子がクラスにいて

嵐が好きだと分かると、私あの歌すき!と言って踊ってみせた。

ついでに宿題くんの話をして盛り上がった。

リアラのバッグで学校に来た時は、

「可愛い!それ、嵐の??」

と聞くと、

「そう!終わったらコンサートなんだあ♡」

と言われ、高校生までは現場禁止を食らっていた私は、いいなあとほぞを噛んだものだ。

(ただその子はクラスでもかなりの変わり者だったので、それ以上仲良くなれなかった…)

 

その流れで放送となった
花より男子 2」!!!!
これはもう、社会現象とも呼ぶべきものだった。確実に。
合わせて、私としては「拝啓、父上様」が放送されていたことも記録しておきたい。
花男は、社会現象だったのでクラスで見てない子はいないくらい。放送翌日は、「ねぇ!昨日みた?!」から会話が始まる。

一方、地味に木10で繰り広げられた拝啓の方は観ている人が少なかった。

唯一、観ていると分かった子とこっそり感想を分かち合ったものだった。

しかし私たちは毎週、「ニノ可愛かったー」しか言わない。

今思えば、語れることはたくさんあった良質なドラマだっただろうに、私たちにはまだ早すぎた。

 

この時は確実に嵐が上昇気流に乗っていたのだと、断言できる。

 

高校生になり、受験が現実として見えて来たプレッシャーからか、私は少し体調を崩してしまった。

学校も数ヶ月お休みする羽目となり、もちろん塾も休学という形になった。

正直、めちゃくちゃ焦った。

遅れをとっているという自覚しかなかった。みんなはもう、この範囲も習ってるのに!私は自学習するしかないのか…

そんな時、ネットで嵐のPVをまとめたものに出会った。

本当はアップロードされてはいけないのだが、この時ばかりは申し訳ない。大変お世話になった。

そこで、様々な嵐の楽曲に触れた。

素晴らしいものばかりであった。

中でも

「SUNRISE 日本」

「感謝カンゲキ雨嵐」

は、きいた瞬間に歌詞が心の琴線に触れて、涙が溢れ出してしまった。

いつからでもやり直せるから、心に火をつけろ

 

泣きながら生まれてきた僕たちは多分ピンチに強い

 

そうか、いつからでもやり直せるのか!

そうか、私はピンチに強いのか!

なんか分からないけど、力が湧いた。毎日、嵐の曲を聴くとスイッチが入った。

何度も繰り返し嵐の曲を聴いた。

正規の方法で聴こうと、これまでに出たCDを全て入手した。

もっと映像として見たいと、発売中のコンサートDVDも全てゲットした。

見れば見るほど元気になる。頑張ろうと活力が湧く。

体調も回復しつつあり、やっと皆んなと同じ場所に戻ることができた。(ただ、未修分野は非常に多かったのでテストは変わらず苦戦したが…)

 

アイドルってなんて素晴らしいのだろう。人生を変えてくれる。嵐の沼にドンドンはまっていった。

 

花男シリーズは私たちの青春の象徴であり、それが映画化されたとなれば喜んで皆んなで観に行った。

そして、高校生だけで沖縄のロケ地まで旅行したりもした。

とてもいい思い出である。

 

ずっと関西に住んでいるので、VS嵐はしばらくテレビでに映らなかった。もちろん、東京に友達なんていないのでみるすべもない。

そうこう嵐のファンを続けていると、10周年を迎え、嵐が全国区となっていった。冠番組をキー局3つに持ち、嵐をテレビで見ない日はなくなった。まぁタイミングというのはいつも絶妙なもので、それと同時に私は高校を卒業することになった。

やっとFC解禁である。

これでコンサートに行ける!!と意気込んで申し込んだものの、やり方がわからず重複申し込みとなってしまった。

以降、私の名義は8年連続で当たらず終焉を迎えた。

ただ、番組協力には当たった。大学を休んで、夜行バスでVS嵐の収録に向かった。

初めての遠征である。

初めて近くで見る生のニノは、本当に色が白く綺麗だった。松潤の顔の小ささに唖然とした。

翔くんは神様のカルテを撮影していたからか、どこか力が抜けてポヤーンとしている印象があった。相葉くんは、精一杯すぎていた肺に穴が空くか心配になった。大野くんは、テレビで見るまんま!

本当に感動した。

 

そかから私はまた、人生の大きな転換期を迎える。

進路を途中で変更したのだ。

苦しい決断であったし、その行程はかなり辛かったが、そんな時に支えてくれたのはやはり嵐だった。

ウラ嵐マニアに収録された曲を聴きながら勉強に勤しんだ。何度でもやり直せる、という言葉に励まされ続けた。

途中、通っていた予備校で嵐のファンの子達と知り合った。

彼女たちはTwitterを駆使しており、チケットもドンドンとってコンサートにも足を運んでいた。

羨ましい、と言いつつも私は勉強に邁進した。だって、後がないから。

 

そして、無事に志望通りの大学学部に合格し、再度大学生をやり直すこととなった。

 

大学1年の冬、友達が一緒に行こうとコンサートに連れていってくれた。

初めての嵐のコンサートだった。

痺れた。

何より本人たちが1番楽しそうなところが、やっぱり大好きだ。

 

そこから嵐のコンサートが毎年の恒例行事となった。

宮城のBlastにも連れていってくれた。

夜行バスで13時間。初めての経験だった。

そこで私は人生初の"ファンサ"を受けることとなる。人生で初めて「!!!!目が合った!!!!」となった。ニノはすごい。たった1秒足らずのことであったのに、いまだに忘れられない。

 

だけれども私は、違う人に気を引かれてゆくのだ。

正直、Blastの頃にはすっかり平野紫耀くんのファンになっていた。

正確にいうと、2015年の頭以降はもう平野くんの虜である。

その沼に落ちていった過程は、後の記事に記述してゆくのでご参照いただきたい。

2014年に担当していたバイト先の生徒から紹介され、気づけばハマっていた。

生で平野くんを見ることに成功したのは、Sexy Zoneの3rdツアー"Sexy Power 3"の大阪公演(2015/05/05)である。

福岡で披露された時には松松がアンダーとして入っていた勝つんだwinも、大阪公演からは廉くんと岸くんを迎え入れての披露となっていた。

 

あまりに嬉しくて、人生で初めて同じツアーに2回入った。

多ステ、と呼ばれる行為は嵐の時にはほぼ不可能であったし、その発想自体が受け入れられなかったのに。

平野くんのためとなると、ポーンと名古屋まで飛んでいってしまった。

そして夏には、サマステの公式応援サポーターとなった彼を一目見たく、東京の六本木までポーンと足を運ぶようになる。

 

ここから先は、お察しいただきたい。

 

嵐と共に青春を過ごし、平野くんによってジャニヲタへと完成させられてしまった。

この趣味を通じて、たくさんの方々と出会い、様々なことを教えていただきながら、人としても成長してきた。

ジャニーズから知り得たことは計り知れない。

打てば響くことの重要性、社会は席の奪い合いであること、チャンスを掴むためには自身の有無に関わらずまずは「やりたい」と声を上げる必要があること。

ファンの方々との関わり合いにおいてもたくさんのことを知った。

意見の対立は不可避であること、人の好きなものを否定してはならないこと、自分が幸せな時ほど相手を思いやること、マナーを守ることの大切さ。

こうした自分の礎ともなったジャニーズには感謝してもしきれないし、これからもお世話になるのだと思う。

ひとまずここまで、歴史を振り返らせていただいた。