虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

好きだった人と好きな人

担降りブログ、というものを書くほど明確な担降りがなかった。

 

気づいたら気持ちの比率が20%、50%、70%、100%と移行していき、最終的には掛け持ちというには憚られる状態になっていた。

 

私の元担(というか殿堂入り!)は、嵐の二宮くんである。

と、言うと大抵「えぇ〜〜!紫耀くんと全然似てないね!」と言われる。うん。似ていない。

ニノが昭和のハンサムなら、平野くんはバリッバリ平成のイケメンである。

 

嵐は、私の青春のほとんどを担っていたといっても過言ではないし、あらゆる精神的な窮地から救ってくれたのも嵐という存在だった。

気づけば国民的アイドルとなっていたので、「好きだ」と公言するのも躊躇われなかったし、現在私の周囲にいる人も「ニノ好き」としてすんなりと受け入れてくれている。

 

そんな私が、平野くんにズブズブと堕ちていった経緯はまた今度機会があればさせていただこうかと思う。

 

今回、こうして二宮くんと平野くんを引っ張って来たのには、あるキッカケがあって。

 

それは先日発売された雑誌、MOREに掲載されているニノの連載「一途」である。

今回の連載で、記念すべき100回目を迎えたというから非常におめでたい。

 

私が1番好きな二宮くんは、情熱大陸で「アイドルであること」に固執している姿だった。

あまりドル誌の記事1つとっても、ふざけて自分について多くを語らずにはぐらかそうとするイメージが強く、

そんな彼に密着した情熱大陸はなかなかの衝撃であるとともに、かなり意外性のある角度から「好き」を加速させた。

情熱大陸の中で彼がどんな姿を見せてくれていたか。それは主に、「ゲームをしている」姿である。

モニターチェックもしない、振りの確認もチラ見。ずーっとゲームに釘付け。

しかしながら、いざ振りを踊るとなると完璧にこなしてみせる。要望も聞いていないようでいて、二つ返事で応えてみせる。

そんな天才肌な彼が、そこに映し出されていた。

そこで彼は「何故、ずっとゲームをしているの?」と問われる。すると、こう答えた。

「自分の意見が出て来ちゃうでしょ。それが1番厄介だから。」

アイドルたるもの、求められたことに応じるのが仕事なのだ、とでも言いたげであった。

当時、「硫黄島の手紙」に出演し、ベルリン国際映画祭にまで行った彼は質疑応答で「俳優業」について質問されるたびに「僕は俳優ではございませんし、日本では嵐というグループで歌って踊っていますし、ただ淡々と与えられたことをやれたらと思って…」と答えていた。

彼はあくまでも

嵐の二宮和也

であることにこだわったのだ。

 

それを見てから、私はますます彼に心酔した。

しかし彼は、なかなか心の内を見せてくれない。話してくれない。いつも茶化してしまう。

その頭の回転の良さにはいつも舌を巻いたが、そのせいで肝心の部分はいつもベールに覆われていた。それはそれで、良かったのかもしれない。

ここで始まったのが、一途の連載である。

驚いた。

ラジオでもテレビでも聞くことのできないような、二宮和也論が展開されていた。

その、一途の連載も含めてあらゆるメディアで彼が口にし、私の心に残っている概念がある。

「今に集中することが大事」

というものであった。

過去のことは変えられないし、今更言われても仕方ない。未来のことを思っても、意味のない不安に駆られるだけ。ファンの人が好きなのは、今の僕でしょ?今の僕を好きでいてよ。とでも言いたげなメッセージにガンと殴られたような衝撃を受けた覚えがある。

そこから私の「理想のアイドル像」がみるみるうちに形成されていった。

"目の前"の"与えられた仕事"に全力で取り組める人

 

すべてはそこに終着するのだと。

そうしてジャニヲタをしていたところに出逢ったのが、平野紫耀くんであった。

彼は、圧倒的なセンスを誇っているように感じた。

だけど、当時から「勉強ができない。」というイメージが強く、

私の好きなタイプじゃないのにーーーなんでぇーーーーなんでこんな好きになっていくのぉーーーーー?!と頭を抱えたこともしばしば。

そんな彼を好きになって1年以上経った頃から、あらゆるインタビューにおいて「明日のスケジュールは分からない」「スケジュール帳は持ってない」「未来のスケジュールに縛られたくない」というコメントをするようになった。

それを見て、ぴぴっと繋がった。

ああ、この子…もうそれができている人なんだ…

どこか諦めているような、達観しているような目の色をしている。

人懐こいように見えて実は、無意識のうちに自分のテリトリーに一線を引いてしまっていそうなタイプなところも似ている。

そうやって、自分の好きな人たちの共通点を見出して満足していた。

 

次第に私は、「今のニノ」をアップデートできなくなってその時点のニノを愛するよりもいつまでも2007〜2010付近のニノを思い出しては、愛でるようになってしまった。

だから、気づいたら平野くんに降りていたのだと思う。

 

しかしニノのことだって、やっぱり好きだし、大好きだと思えた「一途」という連載も依然大切なものだ。

そんな一途の100回記念。その中で彼は、相変わらず天邪鬼で捻くれてて、なのに素直で。

自らの8年間での変化をどこか俯瞰で見ていて。

そして、変わらず

「今、目の前にある仕事にまっすぐ向かうだけ。それは、この先、何を得ても変わらないんじゃないかな」

と言っていた。

私が好きになったニノがそこにはいた。

だが、続けてこうも言っていた。

「自分の未来について、ますます考えなくなったのは、これが正解だっていう道は、もうないからだと思う。」

少し前のしやがれでは、櫻井翔くんも同じようなことを言っていた。

「予定調和をこよなく愛する」という名言さえ生み出していた櫻井翔くんが、

未来について目標を立てなくなった。目標を立てて達成していくのが理想的な綺麗な形だと信じて来たけど、思うようにはいかないとわかったから、という内容の発言をしていたのだ。

私は、嵐というグループがそういうターンに来たのだろうかと考えている。

SMAPの解散という、誰しもが予想だにしなかったことが起きた。悲しみと寂しさに満ちた空気の中、見届けた多くの人が同じように涙を溜めて「どうして?」という気持ちを抱きながら。

そういった一つの節目を、引き継いでいくべき者たちの筆頭に立つグループとして受け入れた時に、こうして

「予想できない」未来にどう立ち向かうべきか、という観点にいたるのかもしれない。

それもまた、とてもカッコいいなあと思ってしまう。だから、彼らは私の中で殿堂入りだ。

 

いずれは紫耀くんにも、そうしたターニングポイントに立つ時がやってくるのだろうか。

でも今はまだ、未来に希望を抱いていいのではないだろうか。とにかく目の前の仕事をこなしていくことが、輝かしい門出へ繋がる道だと信じてもいいのではないか。

 

どうか。今しかない、若かりしうるわしき時を、彼が存分に楽しめるように…

そしてこの頑張りが、報われて欲しいと願わずにはいられないのだ。(でも彼自身は気にしてないのかもなあ…)