「関西には戻らない覚悟」
「東京に出てきた時点で、もう関西には戻らない覚悟だったんですよね。」
2018年4月号のポポロ内の連載にて、紫耀くんが語った言葉だ。
誤解を招きかねない暴露にも近い発言かもしれない。
当の本人も、反応を見越して「ちょっと冷たい言い方に聞こえたらごめんなさい。」と断ってから発言している。
そんなところがまた、紫耀くんらしい。起こりある反応を即座に予測して、波風が立たないよう先回りの配慮をする。
そもそも、2015年の日経エンタでも同じような発言をしたことがあった。
「関西にはもう未練はない」と言い切ったのだ。
なんてリスキーな発言をするんだろう、と思ったが、彼がこうしてはっきりと意思を伝えてくれたお陰で、随分とファン活動が円滑になった覚えがある。
彼はこうして、何度でも自分の覚悟を、決意を、それとなく伝えてきてくれていた。
捨てる、とか、忘れる、という訳ではなく、関西での経験を携えて現状より更に高みを目指す、と。
それでも、今回のポポロでの言葉を読んで、やはり心無い言葉を放つ人がいた。
一定数いるだろうとは予想していたけれど、これを機に『担降り』なんてワードまで話題に上がってしまったから困りものだ。
言葉、特に日本語は"ふくみ"を持っている。英語で言うところのimplicationだろうか。これは、行間とも言うべきものであり、ある種読み手の想像力に委ねられるところが大きい。
1つの言葉には無数の解釈があり、それを無意識のうちに選択して、自分なりの理解を構築する。
その上、雑誌などで読むことのできるインタビューなどは、声のニュアンスも削ぎ落とされるため、ますますこちらの解釈によって捉え方は無限大に広がる。
そんな中で、紫耀くんの言葉を拾って「悪意」で塗り固められたような穿った見解を示す人たちがいる。
やるせないなぁ、と思う。
そんな風に捉えたって誰も得しないのに。嫌いだ!担降りだ!と叫べば叫ぶほど、貴女自身が傷つくだけなのに。
ただ、こうした齟齬があった時に「そう捉えられてしまう表現をしたのが悪い」と批判される。私はそれも納得がいかない。
世界は、いろんな人が集まっているから、1つの事象に対して世界中の人全員が同じ考えを持つなんてことはあり得ない。
誰からも誤解されない、批判されない、なんてことは到底不可能なのだ。
そして今日、平野紫耀くんが松竹座に見学に来た。
映画の宣伝やCM撮影、TBSドラマの撮影と、今までのどの時期よりも多忙を極める今この時に、彼は原点である大阪へと足を運んだのだ。
まいジャニに出なくなり、完全に東京に移行した2015年夏以来、実に2年半ぶりだ。
そこに私や友人は、「覚悟」を見る。
彼は、戻らない覚悟で東京に行った。
そして、デビューというスタートラインに立つこととなった今、1つの思いを成し遂げた今だからこそ、松竹座にやって来たのだ。
デビューするまでは行くまい、と腹を括っていたのだろう。
何という男だろう。
カッコよすぎる。これが、男「平野紫耀」だ。
これまで何度も、「何故、紫耀くんは頑として松竹座に見学に行かないのか?」という議論を交わして来た。
ほぼ同じタイミングで上京した廉くんが、彼とは対照的に欠かすことなく(いつしかのクリパは行けなかったよね)松竹座に現れていただけに、尚更不思議でならなかった。
きっと理由があるのだろう、と思っていた。「事務所に行くなと言われているのだろうか?」とか、「関西に泊まるところがないからかな?」とか。
つまらない言い訳みたいなことしか思い浮かばなかった。
でも、このタイミングで。
誰よりも忙しい彼が、いの一番で。
挨拶だと思った。ケジメをつけに来たのだ。
だがしかし、結局いまSNS上で飛び交うのは、「なんで今更?」「担降りが嫌だったの?」という心無い言葉だ。
平野くんが今更、担降りなんかを気にするであろうか。
それに、勝手に期待を押し付けておいて、裏切られた!と去って行くようなファンは、追いかけたりしないと思う。
しかも、なにが腹がたつってこういう発言を大きな声でしているのが「他担」さんである点だ。
放っておいてほしい。そりゃ、貴女たちには分からないかもしれませんね、だって平野くんの言葉をずっと拾い続けてきてないんでしょうから。
何を言っても、何をしても、平野くんに攻撃する人がいるのならばもう、何も伝えてくれなくていいよ、と思う。
私は彼に傷ついて欲しくないし、ファンである私だって傷つきたくないのだ。