虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

”遠くはない存在”

RIDE ON TIME、全4回の放送が終了した。

(何度でもいうが、私の住んでいる地域では未だ放送予定がない。なぜ。お願いします、関テレさま…)

 

その最終回で、平野くんがファンのことを「遠い存在ではないと思っている」と言っていたことに少しの戸惑いを覚えて、当ブログを綴ることとした。

 

ファンの人を遠い存在だとは思っていない。

その言葉に嘘偽りはないのであろうと思う。

そしてこの感覚は、平野くんが”ジャニーズ所属”"King&Princeのメンバー"として、映画撮影やバラエティーなどの対外的な現場を経験してきたからこそ、より感じるようになったものかもしれない。

ニノが落合さんとの対談で、コンサートの空間は特別でファンはみんな俺らの味方(だから、そこベースで何事も考えてはいけない)と語っていたものと同じことだろうと思う。

それは理解ができる。

 

ただ、さらに彼は、今月発売のポポロ12月号における連載で、

「昔からのファンの人は顔を覚えている」

とまで言った。

これには驚きを隠せない。

ファン同士の争いを諌めるためとはいえ、そこまで平野くんが言う日が来るとは…と思った。

これは事実だと思う。ただ、付け加えて言っておきたい。昔から、というのは本当に昔から。

関西時代でも初期の頃だ。

Jr.時代の6年間を総括して「昔」とは言っていないと思う。

 

私が平野くんのファンになってから、あと少しで4年が経とうとしている。何だかんだ速いものだ。

しかし私は、平野くんのことを遠くない存在だと感じたことは一度もない。

 

 

平野くんという存在を認識したその瞬間から、彼のことを「未来の大スター」として見ていた。

そのスター性は疑う余地がなかった。

そう信じた自分の直感は確かなものだったらしいと思えてしまうくらいには、今の平野紫耀くん、そしてKing & Princeは破竹の勢いを見せている。

 

だからこそ、EXのような小さい箱で毎日のようにコンサートをしたり、帝国劇場という格式高い劇場でとは言え、ジャニーズのファンの目にしか触れないような場所に閉じ込められたり、そんな状態が3年間も繰り返し続いていた状態には、違和感しかなかった。

極め付けは、600人キャパの湾岸スタジオでのライブである。

私は幸いにも参加することができ幸せな空間を体感できたが、需要に見合っていない小さすぎるキャパシティーでのライブ自体の具体的なメリットはあまり理解できなかった。

ただ、こうした時代を経験できること自体がすごく貴重な経験だと思っていたので、(EXにはほとほと縁がなかったけど)各現場にできるだけ多く入れるように足繁く通ったものであった。

 

その期間、平野紫耀くんが手の届きそうな距離に(湾岸やクリエでは客席までハイタッチをしに来ていたし)近づくこともあった。

にもかかわわかず、いや、物理的な距離が近ければ近いほどむしろ、

「紫耀くんって手の届かない存在だなぁ」

と感じてきた。

その目の奥はこちらを捉えていない。たとえこちらを向いていても、焦点が合っていない目をしている。

始めは、私の思い違いかと思った。

集合体恐怖症だから、ぼやかしてみているのかもしれない、多忙を極めているからかもしれない。

いろんな要因は考えられるが、もしかすると原因はこちらにあるのかもしれない。

思い当たる節が2点ある。

 

一点目。そもそも、平野くんは私のような人間は好きではないであろうという劣等感がある。

私は、自分が好きだなと感じたことを人と共有したがる。でも、「ここ好き〜!」だけではもったいないと思ってしまう節があって、どこがどのように好きなのかを懸命に言葉にしてしまう。

それが時に、自分でも理屈っぽいと感じるし、押し付けのようにさえ感じてしまう人もいるのではないかという不安もある。

対して平野くんは、くどくどとした理屈や言葉になど頼らずとも、その感覚で人を魅了する力がある。いわゆる表現力、とも言えるであろう。

だからきっと、自分の意見を大きな声で主張したり、論理的に説き伏せようとする人間は苦手なんだろうなぁと思う。

そういった性質を、本能的に嗅ぎとられていそうだな、と思うこともある。

私は、比較的新しい人間である上、地方に住んでいるため現場に毎日のように足を運ぶことは不可能である。よって、自分のファンとして認識されているはずがない。

それでも、これまで平野くんと近い距離になればなるほど目を合わせてはもらえないという経験をしてきた。

本能で嗅ぎ分けているのだと思う。

 

悩んだ。

 

自分が嫌いな人種に応援されることは果たして嫌ではないのだろうか。

彼に迷惑をかけてしまうくらいならば、せめて現場に行くのはやめてあげた方がいいのではないだろうか。

 

考えすぎだと、自意識過剰だと笑われることもあったが、そう思わずにはいられないくらいに平野くんに受容されていないと感じることもあった。

 

ただ、密やかに、彼を遠くからスターだと崇める分には、迷惑をかけることもないだろうと応援を続けさせていただくことにしたのだ。

 

そういった引け目もある分、この彼の放つ「ファン」には私は入っていないのだろうなぁという劣等感に似たものがある。

 

 

二点目として、私の周りにいるファンの方々があまりに偉大すぎるというのが考えられる。

「顔を何となく覚えている」という言葉を見て私が思い出したのは、彼女たちの顔であった。

やはり現場にいて、目立つ人はいる。

そこにいるとは事前に知らなくても、こちらが見つけてしまうような華がある方々…しかも、彼女たちは古くから応援されているので、平野くんが彼女たちを認識しているのかもなぁと感じる場面は何度もあった。

さらに言えば、確実に認識されている方々も数人いる。そういった方々と、平野くんとの絆は、私には眩しくもあり、思わず手を合わせたくもなる。

だから、今回の彼の言葉は彼女たちに適応されるものだと瞬時に判断していた。

 

それに気づいた時、自分の所在が分からなくなった。

 

確かに新しい方の人間なのだが、私は、彼の言う「新しいファン」に分類されてもいいのだろうか?

そういうには、色落ちしていまいか。きっと眼差しに輝きがない。

どこか彼のことを息子のように見守ってしまう時がある。知ったような口調で話してしまう時がある。既出の情報に新鮮に驚けない。

本当に厚かましい話しだ。

好きになりたてのホヤホヤした気持ちが足りない。

 

中途半端な存在。私は平野くんのファンとして、カウントされているだろうか。

 

だからこそ、あえて宣言しておきたい。

 

平野くんは、私にとって遠い存在だ。

彼が(特に最近は)素直に思いを言葉にしてくれるので、彼のことがわかったような気になってしまうことはある。

時に彼の心情を憶測して、それが後に彼の所感とぴったり一致していたのだとわかって、あぁ私の思い描く彼の姿ってあながち間違ってはいないのかもなんて感じることもある。

でもそれは、きっと勘違いだ。

彼の真髄など、わかったもんじゃない。

私は彼のことを、少しもわかっちゃいないのだ。

私よりもより近しいファンの方々の言動を見ると、ふと現実を強く意識する。

 

思い込んではならない。

押し付けてはならない。

私が愛しているのは、私のつくりあげた虚像なのである。

自戒を込めて、ここに記す。