帝劇卒業
ついに来てしまった。
覚悟はしていた。
冬の帝劇の舞台から、平野くんが卒業した。
最後に平野くんが帝劇の舞台に立ったのは2020年1月27日。
2019年から2020年にかけて公演していた、『JOHNNYS' IsLAND』の座長としてであった。
その翌年、確かに冬の帝劇に平野くんは立っていないが、新型コロナウイルスの影響もあって延期されていたDreamBoysが上演されていたので、特例だという認識があった。
そのため、今回の『JOHNNYS' IsLAND』のお知らせが来たときに、出演者に名がないのを見て、確定的な情報として「卒業していたのだ」と認識したという状態になる。
と、同時に、舞台名が同一であっても演出が「滝沢秀明」になっているのを見て、ジャニアイ(ジャニワ)の世界にも時が流れたのだなあと感じた。
2年前に、ジャニアイを見た感想を本ブログに上げている時点でも、「最後かも」と書いている。
実際、我々ファンの間でも当時から、これでもう卒業かなぁという予測はしていた。
だから、今回のお知らせを受けても、衝撃を受けたり驚いたりというよりは、多くの人が「ついに」「覚悟はしていたけれど」と言っていた印象だ。
一方で、同じように口を揃えて「でも、寂しい」とも。
私は、ジャニーズの舞台で0番に立つ平野くんが、本当に本当に大好きだ。
帝劇のセンターで舞う平野くんの美しさ、スター性、オーラは、目を見張るものがある。
自分が就職したり、上京したり、この数年間で様々な環境の変化があっても、帝劇の平野くんを見て心揺さぶられる感覚は、ずっと変わらず、衰えず、見るたびどんどん好きになった。
立ち姿、ダンス、歌、フライング、どれをとっても「華」があって、目が離せないのだ。
実際に、デビューができるか分からなかった時代、ジャニーさんが平野くんに立て続けに舞台ばかりをやらせていた時には「鳥籠」という表現まで飛び出すくらい、不安要素として捉えられていたと思う。
私も、もっとテレビや映画といった「一般層」へのアピールをしてほしいと願っていた。
どうしてこんな逸材を、ほんのひと握りのファンしか見られないような舞台に閉じ込めるのか、こんな狭い世界でエンターテイメントとして消化してしまっていい訳がない、と。
その後、本人の直談判で「デビュー」という突破口を開いてからは、電光石火の如く認知度が急激に上がり、今では「一般層」に対するお仕事ばかりになった。
メジャーになるとは、こういうことだ。
光陰矢の如し。
本当に、デビューしてからの3年半は、ジュニア時代に応援していた3年半とは比べ物にならないほど、速い。
その分、本人も口に出して言っていたように、その現場に足を運ばずとも、平野くんの姿を画面越しに見ることができ、パフォーマンスにもアクセスができるようになった。
今や、YouTubeでMVが見られるのである。
これは画期的な進歩であり、数年前の自分が聞いたら飛んで驚くと思う。
そして、とてもありがたいことだと身に沁みて感じる
これほどまでに簡便に平野くんたちの作品やパフォーマンスにアクセスできる環境に身を置くとなお、帝劇に立つ平野くんの映像が、ワイドショーで流れた数秒や、まいジャニの密着くらいしか残っていないのは、本当に口惜しい。
そして何より、あんなに大切に思っていたはずのその一瞬一瞬の記憶が、時が経って薄れていってしまっていることにも、不甲斐なさと切なさと悔しさを感じる。
人間の記憶力には限界がある。
本当に素敵なのだ。
今こそ、映像を円盤として出してほしい。
ハピアイの時の収録はなんだったんだ。コントを入れ替えたアレはなんだったんだ。一生言うよ。
でも、これもまた、一つのステップなのだと思う。
平野くんたちが先輩たちから受け継いだように、いつかは継承しなくてはならなかったバトンだと思う。
ジャニーさんが亡くなって、恩返しとして帝劇に立ってくれた、あの最後の年さえも、奇跡だったのだという気持ちもある。
本当に十分、尽くしてくれた。
そして、ジャニーズの舞台を、自分の育ってきた場所として大切に想っているのだと感じられる。
Namae OshieteのMVで、平野くんが「ファンの皆さんとの出会う場」として劇場を捉えていたことにも、彼らが「帝劇育ち」であることを象徴しているようで、涙が出そうなくらい嬉しかった。
またいつか、帝劇に立ってくれる日も来るかもしれないけれど、主演であっても座長であっても、それは、また「違う」形だ。
綺麗な形で、ここで一つ、卒業をしていったのだと思う。
帝劇0番に立つ平野くんを愛した日々の全てが、宝物だ。
まずは、卒業おめでとう。
そして、たくさんのありがとうを。