虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

普通の生活

私は、嵐でジャニーズを知り、平野くんでオタクを知った。

自分でもなんと典型的なジャニオタだろうか、と思う。

それほどまでに、嵐というアイドルグループの門戸は広く、功績は偉大だ。

嵐に励まされ、元気付けられ、夢を見させてもらった人はどれほどいるだろうか。

だって嵐って、私たち皆んなの青春じゃん。

 

申し訳ないけれど、嵐が国民的アイドルとなってしまった以上、

もう嵐の進退は、オタクと嵐との間だけで完結する問題じゃないんだなと思う。

これは、あの先輩グループの一件でも感じたことだった。

みんなそれぞれに、「嵐」との思い出がある。

 

私が高校生の時に嵐は”社会現象”となった。

学校に行けば、友達全員の共通の話題として嵐が上がったし、

高校生だけで、花男のロケ地へと旅行した時にはワクワクしたものだった。

 

間違いなく私たちの青春は嵐とともにあった。

私の世代はみんな、そうだと思う。

 

そして、個人的には自身が今の場所にいるのは、嵐のおかげだ。

人生における重要な決断の後押しをしてくれたのは、嵐だった。

(そして、新天地に行くことになったのは、平野くんの存在があってのことだ)

 

そんな嵐さんからも、次第に距離を置くようになってしばらく経つ。

それでも、嵐だけは本人たちが「ずっと嵐」と言ってくれていた印象があったのもあり

ずっと変わらずそこにいてくれる絶対的な存在だと。

そう、思い込んでいたのだということにさえ、今回初めて気づいた。

 

昨日は、2か月間続いた帝劇の千秋楽だったので、自身の予定の合間を縫って

平野くんたちの挨拶を読み、彼らの頑張りに思いを馳せているところだった。

 

そんな折、今回のニュースを知ったのはなんと父からの連絡によってであった。

さすが、国民的アイドル嵐である。

速報が流れたというのだから。

 

心底驚いた。

絶対に、そこだけはないと思っていた。思い込んでいた。

 

でも、彼らだって人間なのだ。

 

永遠など、ないのである。

 

 

自分でも信じられないくらい、気が動転してしまった。

全く、うろたえている場合などではなかったが、じっとしていられなかった。

 

あまりにショックだった。

 

正直、ここまでショックを受けていることに自分自身がショックだ。

 

本人たちが話しているというFC動画にもたどり着いた。

何度も繰り返し見たが、全く飲み込めなかった。

 

「自由な生活がしてみたい」

私でさえ、「あぁ、大野くんらしい」と思わずにはいられなかった。

歌手として、ダンサーとして、芸術家として、圧倒的な才能を誇りながら、

最も”芸能人”として過保護に扱われことを嫌がっている印象があった。

年末年始には家族でビンゴゲームをするような、

仲良くしている一般人の釣り友がいるような、

どこまでも自然体な人だという印象があった。

嵐の人気がどんどん上がっても、「パン屋さんになりたい」という夢を口にし、

ネタにされてはいたが、いつか本当に開くかもな〜と思いながら見ていた記憶がある。

 

そんな彼が、どこへ行っても、誰と会っても

「嵐の大野智

として認識され、付け回され、あるいは報道にまで至ってしまうような

雁字搦めの生活に辟易としてしまう気持ちも、わかってしまうような気さえした。

 

そう、それは私が今や部外者だからであった。

 

会見が20時からあるという情報が流れた。

この言葉たちは逃してはならない、と

一番に放送をしてくれそうな、Mr.サンデーまでの帰宅を何としてでも叶えるべく

すべきことを削った。

どうせ、こんな日に何をやっても手につかない。

 

そして、準備している最中、会見の記事が流れてきた。

 

そこには「普通の生活」という言葉があった。

あまりに胸が苦しかった。

それは、すでに国民的アイドルとなってしまった彼が、

今望んだところで叶うことなのだろうか、と考えるとさらに、

胸が締め付けられるような思いだった。

自然と涙が溢れた。もはや、自分でもなんで泣いているのか分からなかった。

 

そして会見を見た。

動悸がして、息を呑んで見守っていた。

 

しかし、そこにあったのは

嵐の強い絆であった。

 

格が違った。

 

彼らがアイドルとして、人間として、立っているステージは

私の想像するより、ずっとずっと

高尚なものだった。

 

記者さんからの質問を受けて、紡ぎだす文章も

それを作り上げるために選択する言葉も

どれも、正しくて、隙がなくて、丁寧で、誠実で。

 

長い年月をかけて、長い年月をかけて、たどり着いた結論なのだということが

あの1回の会見で痛いほど伝わったし、

それをこのような形で、今のタイミングで伝えてくれること、

「理解していただくには時間が必要だ」と、

自身の立場や環境を確かに自覚した上で、

誠意溢れる選択を間違いなくしてくれる賢明さ。

絶対に齟齬があってはならない、揚げ足など取らせるものか、一瞬だってリーダーを責めるような空気にさせてたまるものかという

「意地」さえ感じられた。

これでこそ、嵐だよね。

 

さらには、全員が一人の大人として

豊富な語彙をもってして、正確に、明るく、

誠意と愛をもって、お互いを支え補いながら。

穴がない。

 

ニノは大野くんを「優しい人だ」と言った。

親身に近くにいてくれる、とも。

私は、そこでハワイでのニノの腰のことを思い出した。

腰を痛めたニノに。松潤が「ジャンプアップやめる?」と提案する中、

「大丈夫」と繰り返すニノに、

有無を言わさず「スライドにしようよ」とたった一言いって

決断させてくれたあの光景が忘れられない。

リーダーらしくない、と本人が笑っても、

リーダーは、優しくて愛の深い、真のリーダーだ。

 

嵐を好きになって、よかったね。

と言われた。

嵐を好きになって、よかった。

という言葉もたくさん見た。

 

なんて、素敵なグループなんだろう。

 

そりゃ、会見出の新規さんだってでますよ!

私だって、実質そうだもん!!

 

でも、大野くんの「普通の生活をしたことがないから、どんなものか興味がある」という言葉は、やっぱり私の胸に突き刺さった。

 

それは、平野くんも、ずっと憧れているものだから。

 

彼もいつか、そう思う日が来るかもしれない、と

やっぱり一抹の不安はよぎった。

それは、彼の意思を尊重したいという思いと、

その時自分は果たして、どういう思いを抱くのだろうかという思いと。

 

でも、つい今しがた、そんな今の自担がお誕生日を迎えた。

(こんなタイミングなんて…なんて皮肉なの!)

と思っていたのだが、

その動画内で奇しくも彼は、「末永く一緒にいよう」と言ってくれた。

いつも伝えてくれているその言葉が、今はさらに魔法の言葉に聞こえた。

 

ありがとう。

本当に、ありがとう。

 

私も、自分の青春の思い出をきちんと大切にするために、

この二年で嵐さんにたくさんの感謝を伝えたいと思った。

彼らの休止までの道程を、そっと見守りたい。

彼らに、人生を彩ってもらった人間の一人として。

 

嵐さん、大野くん、これまでお疲れさまです。

ここからの2年、ますます楽しみになりました。

どうか。

一人でも多くの人に幸せを。

嵐さんにしかできないことが、たくさんあります。

 

そしてどうか、それぞれの幸せな”自由”を。