私の思う"しょうれん"
平野担をしてきた中で、やはり"しょうれん"は避けて通れない話題の一つであると感じている。
だって、二人はずっと一緒にいたから。
しょうれんは、家族であり、メンバーであり、ライバルであり、相方である。
ただ、私の思うしょうれんは『兄弟』に近い。
二人を見ていると、二人が普通に生活していたとしたら絶対交わることがなかっただろうなと思う。
しかし、奇しくも二人はジャニーズ事務所に入所し、同時代に関西ジャニーズジュニアとして活動を開始した。
そして、少しずつ食い違うことはあっても(紫耀くんはセクパワ、廉くんは春松竹など)結局はやっぱりずっと一緒にいた。
それは本人たちが一番感じていることなのではないだろうか。
だから、二人はしきりに「ずっと隣にいるね」と。
「隣にいなかったら違和感ある」と。
「振り返れば、キミがいた」と平野くんが言ったのは、紛れもなく本当に彼が感じたままなのだろうと思う。
関西にいた当時、廉くんは「紫耀大好き!」を全身で表現する人だったようだ。
それは、幼かったからかもしれない。
過去資料からしか知りえなかったが、純粋無垢とはまさしくこのことか!と思ったものだ。
同じグループで活動を続けていた大ちゃん(西畑さん家の方です)と紫耀くんにどっちか選んで!と迫られて、当惑している様子なんて本当に可愛くて可愛くて。
それを二人もまた、可愛いと思っていじっていたのだろう。
間違いなく平野くんは愛を持って、廉くんを弟のように可愛がっていたと感じる。
そして、時が経ち、様相が変わり始める。
しょうくんと廉くんがセットで売り出されるようになる。
舞台「DREAM BOYS 2014」では、関西Jr.から2人だけが抜擢されるばかりか、主要キャストとして記者会見にまで登場する。
(正直この頃は、うっすらとしか認知していなかったが、それでも平野くんの「関西ジャニーズJr.の中でゴリラって呼ばれてるんですよ」ははっきりと記憶にある。)
年始のジャニワ、少クラや雑誌など、髙橋海人くんも合わせた3人での仕事の割合が増していく。
関西においても二人だけがグレードアップした衣装を着ていることが増えた。
そうして、二人は一緒に上京を果たす。
上京、と一口に言ってもそれはジワリ、ジワリと液体が布に染み込むように完遂したことであった。
まずは平野くんが松竹座から姿を消す。
春松竹の初日と夏の少年たちの楽に現れた以降は、デビューが決まるまで松竹座に見学さえ行かなかった。
多忙を極めていたことや大阪に家があるわけではないことなど、様々な理由はあるかもしれない。
しかし私は、それが彼なりの「覚悟であった」と解釈している。
(詳細については、こちらの記事を確認していただきたい)
一方で、廉くんは春松竹で単独の座長を経たのち、途中からSexy Power Tour にバックとして加わった。
そして、夏松竹(少年たち)にはもう、名をつらねることはなくなった。
なにきん、と呼ばれる6人で出演していた「まいど!ジャ〜ニィ〜」からもやがて姿を消す。
初めこそ、今は東京で多忙だからいないのだ、次回からは戻ってくるかもしれない!などとかすかな希望を捨てきれずにいたものだが、不思議なもので段階を経ていくうちに、彼らが関西の現場にいないことにももう驚かなくなっていった。
こうしてジワリジワリと、二人は東京へと進出して行ったのだ。
物議を醸した。
ジャニーズWESTののんちゃんも、ラジオで「戻ってこい」と発言するなど、身内からも関西にいて欲しいと願われることもあった。
挙句、「関西を捨てた」と考える人もいた。捨てるわけがない。
必ずしも祝福ムードとは言えない状況で、彼らは活躍の場を変えたことになる。
反発は、関西を愛する人たちからだけではなかった。
東京に来てクリエAを担当するとして組まされた4人のうち、海人くん以外の3人は、もともと東京で宮近くんと顕嵐くんと5人で”クリエセクボ”として親しまれているようであった。
関西から2人が来たせいで、セクボが解体となった!と叫ぶ人もいた。
何か変化があった時には、反対する人が一定数いるものだ。
ただ、今回はその声が倍だった。
しょうれんが感じた圧はいかほどのものであったのだろうか、と思う。
その圧を2人は、共に経験してきたのである。
しかし、それを受けての二人の姿勢は、全く相反するものであった。
廉くんは今まで以上に、関西を大切にした。
それは、誰が見てもわかる形で。
素直で真っ直ぐな人だから、本心をそのままに伝えてしまう。「関西に帰りたい」と雑誌で漏らした時には、あまりにも胸が痛かった。
春夏冬と松竹での公演がある中、彼はほとんどすべてに見学に赴いた。
「今回は流石に無理かも…」といっても何だかんだ顔を出すのだから、傍から見ていても関西への思い入れは相当なものだったのだろうとわかる。顔をキャップで厳重に隠してでも、多忙なスケジュールのわずかな合間を縫ってでも、見に行ったこともあった。
一方で紫耀くんは、関西の現場にはほぼほぼ現れなかった。
元よりマメに見学するタイプではない。どちらかというとオフは友達と遊びたいのだ。どんなに多忙でも、友人とのテーマパークで遊ぶ様子が目撃されることも珍しくない。(若い。本当に体力が底なしだ。)
それでも頑なに、関西の松竹座に顔を出すことはなかった。
そうして、デビューが発表となったすぐ後、あの時を迎える。
平野紫耀、3年ぶりの松竹座見学である。
私はそこに、彼の覚悟を見た。
デビューという形で、自身の成果を残せたからこそやっと、凱旋したのだ。
彼にとっては紛れもなく、ジャニーズとしての基盤を築いた地であり、「故郷」なのである。
彼にも、関西に対して愛がある。
ただその表現は、非常に不器用である。
東京に出てきた大人の男の人が、照れて母親をけなしてしまったり、田舎を悪く言ってしまうような、そんな趣がある。
甘えられる場所、なのではなかろうか。
ただ、こうした姿勢の違いから、二人の間には少しずつ物理的な距離が生まれて行く。
プライベートで遊ぶ姿が、ほとんど全く目撃されなくなった。
仕事終わりに、ご飯に行くことはあったのかもしれないが、本人たちの口から二人で出かけた際の話はパッタリと出なくなってしまった。
紫耀くんは、どんどん神宮寺くん岩橋くん慎太郎くんと遊ぶようになり、「いつメン」と呼ばれるにまでなった。(カイちゃんの参入はもう少し後)
廉くんは、東京でお友達を作るより、関西に戻ってきては地元の子や(西畑)大ちゃんと遊んでいたようだった。
廉くんの方に、紫耀くんを理解できないという反抗心もあったことであろう。
なぜ、関西に対してそうスパッと割り切れるのか。
(これは平野くんの秘めたる野心によるところが大きいので、それを廉くんと共有しなかった罪は正直大きいと思うが、まだ廉くんには伝わらないかもしれないという不安もあったかもしれないし、そもそも自分の話を人と共有しなさそうな人間なので仕方ないんだろうなぁ…と思っている。)
そして、廉くんのファンの方が「二人で上京した時、もっと面倒を見て欲しかった」と嘆いている様子も見たことがある。
確かにそうだ。
平野くんの方がすぐに東京に順応して、仲良しな友達まで見つけてしまったのに対して
廉くんは移行に時間がかかった。
徐々に、長妻くんや顕嵐くんと仲良く遊ぶ姿が目撃されるようになり、ホッと胸をなでおろした覚えがある。
ただ、紫耀くんからすれば、何もかも自分が廉の面倒を甲斐甲斐しく見ろと言われれば、拒みたい気持ちがあったのではないかと推察している。
それでも、彼の方から廉くんと離れる、という選択肢はなかったように思える。
「何かあったら俺に言え」「廉と海人は守るべき存在」なのである。
紫耀くんにとって廉くんは大切な存在であり、他の誰かが廉くんを傷つけるとなれば許せないことのなのである。
まさしくこれは、『兄弟』である。
「振り返れば、キミがいた」
廉くんとは共に過ごしていくことが彼らの中で、当然の未来だったからこそ
機嫌をとったり、愛想を振りまいたりすることもない。
お互いの信頼関係の中で、成り立っている関係。
これこそ、『Brother』の名にふさわしい関係性であると感じた。
ただこのすれ違いの時期にも、間に可愛い可愛い海人くんがいてくれたからこそ、
崩壊せずに済んだことは間違いない。
二人が無意識のうちに共有してしまっているバックグラウンドを、うまく受容して、吸収して、衝突時には緩衝材として場を和ませる。
本当にカイちゃんの功績は偉大だ。
彼でなければ、しょうれんの間にすっぽり収まることはできなかったであろう。
そして、デビューして3か月経っている今、しょうれん二人の関係性がまた変わりつつある。
私感では、廉くんの方が「吹っ切れた」という印象だ。
キンプリでは、いつメンに遠慮して全然話に入れなかった廉くんが、生き生きとMCを回している。
しょうれんの阿吽の呼吸で話が進む。
スピード感が尋常じゃない。
そうそう、それが見たかったの!でも、供給過多じゃない?と心配になるくらい。
そもそも、紫耀くんと廉くんは正反対である。
二人とも賢い。
だが、紫耀くんの賢さは教養とはかけ離れたところにある。感覚派だ。ある程度は天性の勘でこなしてしまう。
一方で、廉くんの賢さは教養と努力にある。できないことにもコツコツ取り組んで、ゆっくり上達していく。
そんな二人が、背中合わせになって、背中を預けあって進んでゆく様は、一つの壮大な物語である。
まだまだ、完全に理解し合っているかどうかはわからない。修復途上といった感は否めない。
ただこれから何十年とともに過ごす仲間だ。
いつか彼らがもっと大人になって、お互いを尊重し、お互いの存在を心から認め合った瞬間に立ち会いたいなと思う。
そして、「Brother」をまた歌ってくれたら。
未だ見ぬその時が、楽しみで仕方ない。