虚像を愛する

だいたい寝言

新規古参って何ですか

先に述べておくが、私は永遠の新規である。

それは、どの時期に好きになってもそう思っていたのかもしれないとも思う。

誰も生まれた頃からの歴史をくまなく見知ることはできないし、往々にして自分よりも早くファンになった人がいるものだ。

 

ファンになりたての時には、もっとその人のことを知りたいと情報を収集する。そのためには、先輩ファンからの教えを請うというのが常套手段である。

そうして親交を深め、ファン仲間を形成する以上は、自分は相対的に見て「新規」だ。

 

そして、私は松竹座で歌って踊ってお芝居をする紫耀くんを生で見ていない、という点において「永遠の」新規なのだ。

これはもう、越えることのできない壁である。

もちろん日生Anotherも全ツもかすりもしていない。

さらに言えば、あのドリボ2014もクリエもチケット戦争に勝てず見られていない。

見ておきたかったと願うのに二度と見ることの叶わない現場が、沢山ある。

 

 

 

 

今年の5月にKing & Prince として平野紫耀くんがデビューを果たしてからというもの、彼のファン層は顕著に膨れ上がったようだ。

実際には、私たちファンがその実態を具体的な数値として知る術はないのだが、TwitterなどのSNSを使用するに際しての体感としても、平野くんの話題に興味を持っている人が増えたなと思う。

 

では、このデビューという大きな区切りの出現により、私は「古参」になるのか?

 

答えは、Noである。

 

なぜなら、新規古参という言葉の発端そのものが「相対評価」によるからである。

周りの諸先輩方の担当歴が私より下回ることはない。

その差が、体感として徐々に薄れていくことはあっても、である。

だから私は未だに、お友達に「平野紫耀」について教えて欲しいとお願いしたり意見を求めたりする。

私は平野くんについて十分に知りえない。先は長いのである。

 

私が平野くんを好きになった当初、知り合った人たちの中で一番古い人で担当歴が3年弱であった。

そうした先輩方から沢山の情報や映像をいただきながら、私は平野くんのファンとして自分が見知りしなかった部分にまで、思いを至らせてきた。

そうこうしているうちに、自分の平野担歴はあの先輩方に出会った当初「長い担当歴」と認識していた3年を悠に超えていた。

それでもまだまだ、私は「永遠の新規」である。

彼のことを新鮮に素敵だと思い、賛辞し、そのパフォーマンスを享受する。

そこに、他の人の価値観など関係がないのである。

ただ、ファン同士の関係性において学んだこともたくさんあった。

今になれば、当時の先輩ファンさんたちがどれほど寛容な心で私を仲間に入れてくださったのか、どれほど気に触る発言をしてしまっていたことか、分かるようになった。

だからこそ、彼女たちには余計に頭が上がらない。

 

そんな私でも、今までにたくさんの思い出を作ってきた。

それはどれも、大切な宝物であり、

あるいは他の誰かからすれば「見たかった」と切に願うものなのかもしれない。

 

どの時期に好きになったって、見たかった、知っていたかったと願うものは尽きない。

だったら、今からの時間を大切にするべきだ、というのが私の姿勢だ。

新規にも古参にも、待ち受けているのは平等な未来だ。

今現在、彼らが提供してくれているもの、

これから彼らが提供してくれるもの、

どれもみんなに平等に与えられている。

 

残念ながら、知ったかをされてしまうことは、気持ちがいいものではない。それは事実だ。

ただ、どちらが上ということはない。遠い未来にまで視点をずらせば、新たに好きになったあなたの方が長く彼を見続けられているかもしれないのだ。

 

自分より長く応援している人、自分より新しくファンになった人、皆んなと共に

これからの彼らの活躍を楽しみたい。