JOHNNYS' King & Prince Island』観てきました。
2018年12月22日 夜公演 を観劇してきた。
初日からかなりの日数が経過しての初観劇となったため、皆さんとはかなり感想にズレがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
また、細かい演目等の感想については、改めてツイートなどをまとめようと考えている。
今回は、舞台「JOHNNYS' King & Prince Island」を通してみた、King & Princeというグループと平野紫耀くんについて。
まず、1つ大きな感想として浮かんだのが「これが平野くんの望んだ世界なんだろうなあ」というものであった。
これまでの舞台と比較して、取り組んでいる演目数や種類はそこまで減ったということはない。むしろ、新しいものにもどんどん挑戦していて、身体が心配になるほどである。しかし今回、彼が0番に立つ時間は私の体感として大きく変わった。
King & Princeは、シンデレラガールにしろMemorialにしろ、ダンスフォーメーションという点で固定のセンターがいないのが印象的なグループであると思う。
そして帝劇においてさえも、King & Princeで歌うLover's Delightで、センターがくるくると入れ替わる様を見て、「これが平野くんの望む形に違いない」と感じた。
これまで、どれほどの重圧下で、彼がある種の使命感を持ってそこに立っていたのか。
本人の口から「みんなの前に立つ以上は」という覚悟の言葉を聞いた時には、平野くんも人間なのだとハッとさせられたものだ。
それを共に請け負う仲間ができたことに、大きな歓びを覚えている。
全てを背負って立つあの姿を知ってしまっている分寂しくもあるが、それでも彼の立ち姿があまりに異彩を放っている様には高揚感を抱くし、彼がコンスタントに良きパフォーマンスをし続ける上で最も理想的な形に落ち着いたのではないかと、ホッと胸をなで下ろすような気持ちもある。不思議な感覚だ。
さらに舞台内容について、もう一点感じたのは、ジャニーさんのKing & Princeに対する親心であった。
今回の舞台は三幕構成だ。
その全幕を通して「人間の歴史は悲劇の積み重ねだ。」といういつものお言葉に加えて「新しい時代を作る」というテーマが何度も登場した。
前者は、ジャニーさんの戦争経験に基づく主張であることに変わりはないのだろうが、そこから「新しい時代を創る」ことをKing & PrinceとJr.の皆んなに託したのだなあと思う。
King & Princeがデビューして間もない頃からずっと、演出や曲に関して自分たちで決めなさいと託されてきたところからも、
ジャニーさんの退き際を感じさせられるような気がして、とても切ない。
さらに「大人は子供には戻れない」と幾度となく繰り返し言った上で「僕たちは子供と大人の狭間」とまでKing & Princeたちに言わせるあたりに、巣立っていく彼らに対する一抹の寂しさと、手を離さなければというジャニさんの思いを透かしてみていた。
「メジャーデビュー」という節目を迎え、大きく世に羽ばたいていったKing & Princeに対してのメッセージなのだろう。
この「僕はもう手を加えない」という姿勢は、平野くんたちがジャニーさんに相談に行った時から端を発しているのだろうと思う。
平野くんは何度も「相談しただけ。不安な気持ちを聞いてもらっただけ。」というが、
社長からすると自分の手の届かないところで、我が子のように可愛い皆んなが自我を持ち、先のことまで自立して考えているということが、
そしてそれを自分にきちんと表明してきてくれたということが、
衝撃的だったんだろうなぁと思う。
「ちゃんと考えてるんだな〜」「自分たちでやりなさい」
という発言に滲みでるのは、子離れせねばならぬ親の寂しさと、一方で子の思いを尊重しようとする姿勢である。
だから今回、彼らが「大人と子供の間」とされたのは、そういった手が離れる寸前まで来てしまったということなのではないか。
帝劇を原点とし、そこで育った彼らが、手を離れて行くターニングポイントにあたるのではないだろうか。
デビューしてすぐに帝劇を卒業するなどとは考えづらいと思っていたが、布石を敷かれているようで
かなり寂しい。
帝劇で舞う平野くんは、本当に強く美しい。
できる限り、見ておきたいというのはオタクの我儘でしかないのだろうか…
2020年までは、どうにか続けてくれないだろうか、と思う。
社長の願いを、希望を、未来を、King & Princeに託してはもらえないだろうか。
King & Princeが大人になってしまうのが先か、オリンピックが先か、はたまた…
(どうか平野くんが「親孝行」を果たすその時まで、社長には元気でいて欲しい。)
以上二点だけは、どうしても書き留めておきたかった。
時代の流れには逆らえないものだ…時の前に人は無力だ。
紅白歌合戦 出場決定おめでとう。
感無量なのだ。
だから、言葉にして残しておきたいと思った。
King & Prince がCDデビューを果たすことが発表されてから10ヶ月。そして、ついぞデビューしてから、5ヶ月。
2018年は本当に怒涛の1年だったなーと思う。
1月17日。「イベント」とお知らせされたそれは、もう慣れっこになってしまっていて「きっとまたいつもの何でもない会見でしょう」と、その存在さえ忘れかけていたものだった。
しかし、その日を皮切りに、運命が大きく動き始めた。
夢だと願ったものがどんどんと叶っていった。
恋愛ドラマでヒロインの相手役を演じ、世に名を馳せた。
いつか見たいと思っていた雑誌で、表紙をどんどん飾った。
いつか出て欲しいと願っていた番組に、どんどん出演を果たした。
バラエティでは、ただ出演するだけでなくしっかり爪跡を残した。
多くの人が「平野紫耀」を知っている世界へと変わっていった。
毎日が新鮮で、Jr.の頃とは比にならなさすぎるくらい、怒涛の露出についていけないくらい、むしろこちらが滅入ってしまうくらい!
もちろん、寂しい出来事もあった。
岩橋くんの休業だ。これについてはまた別の記事できちんと記録したいと思うが、
とにかく私は彼には、しっかりと完治して、元気な姿を見せて欲しい。
紫耀くんが「6人で」と強く望んだ以上、ずっと6人で頑張る姿を見届けたいという思いがある。
ただ、King & Prince の波が来ていることに間違いはない。
友人から「キンプリ」について、声をかけられることが増えた。
日常生活を送っている中で、何気なく目にする機会も増えてきた。
平野くんの出演するバラエティ番組の録画画面でタイトルの横に「キンプリ」「平野紫耀」の文字が踊っているのを見たときには、声が出るほど驚いた。
そんな中で、NHKさんの番組への出演が重なったことから「これは年末への布石では〜」と、確信めいたものがあったのは確かだ。
友人とも「多分出るよね、だってこんなに話題になっているし」と言い合っていた。
だから、紅白内定のお知らせを聞いた時も「おめでとう〜!」と同時に「ですよね!」という気持ちもあった。
だが、その次の日。
紅白歌合戦の出場者が正式に発表され、そこには確かに「King & Prince」の名前があった。初出場である彼らは会見にも参加した。
そして、その会見の映像を見たとき。
胸にあった熱い想いが涙として溢れ出してきた。
よかったね。おめでとう。すごいね。
「デビューさせていただいて、まだ一年目という年なんですけども、その中で年末の大舞台『紅白』という番組に出させていただくということで、本当に関係者の皆さん、スタッフの皆さん、ファンの皆さんにとても感謝しています。そしてこの年末で、皆さんに恩返しできるようなパフォーマンスができたらなと思っています。よろしくお願いします。」
そこには、精悍な顔つきで流暢に美しい言葉を紡ぐ、平野くんの姿があった。
随分と頼もしくなったものである。たった数ヶ月前と比較しても、一目で分かるくらいに、彼の語る言葉はなめらかさを増していたし、正しい文章を正しい抑揚で伝えることがとても上手くなったなぁと感じる。
その堂々とした姿に、
彼がこの1年間でどれだけ多くの人の前で、King & Prince のセンター平野紫耀として言葉を発してきたか。
どれだけ多くの大人と対話を交わしてきたか。
どれだけ大きな責任を背負ってきたか。
このたった一年での、ただ厚い経験に想いを馳せずにはいられなかった。
そしてふと、平野くんの右手を見たとき、そこにはいつものようにニギニギと拳を握る様子は全くなく、ただ悠然と、凛と、佇んでいて。
ああ、なんて立派なんだろうと。
私が好きになったこのアイドルは、やっぱり只者ではなかったのだと。
私のような新参者が、こんな偉そうにいう権利など微塵もないのだが。
それでも彼のその、堂々とした存在感にまた、惚れ込んでしまう。
ずっと、ついていきたいなあと思った。
もしかすると、ファンでない方々から見れば月並みの「ありきたり」な言葉だったかもしれない。
それでも私には、その「普通」の言葉が宝物のように感じられた。
何度でも繰り返し見る。
彼が、King & Prince のエースとして語るその言葉たちをゆっくり咀嚼する。
たとえ大人に用意されたそれだとしても、万人に同じように発されることはないのだ。
彼が話すスピード、抑揚、強弱、全てが愛おしく、大切なのだ。
正直、この10ヶ月間は、想像を絶するほどの忙しさだったに違いない。
平野くんがみるみるうちに痩せていって、ただでさえ小さいお顔がますます小さくなってしまったのを見るだけで、その過酷さは一目瞭然だ。
ただ確かに、彼は新しい環境にワクワクしているようには見受けられた。
ジャニフワの時のような、悲壮感は認められない。ここのところはいつも、楽しそうだと感じる。
でも、環境が大きく変わって、楽しいだけではなかったはずだ。
色んな心無い言葉に出会うこともあったかもしれない。
あまりの忙しさに、心が失われそうになったことだったあるかもしれない。
睡眠をこよなく愛する彼が、果たしてこの一年で何日間、十分に寝られたであろうか。
その頑張りが、こうして大きく実を結んだことが、何より嬉しいのである。
お友達が「今年一年頑張った彼らが、年末に大きな花丸をもらえたようで嬉しい」と言っていた。まさしくそれだ。
紅白初出場は、やっぱり特別だ。
かつて嵐さんが初出場した時のことを思い出した。
それまではジャニーズ事務所からは長年SMAPさんとTOKIOさんが固定で出場していただけに、嵐の出場はサプライズであり、ちょっとした革命のようなものだった。
でも、そのルーティンを破るくらい、彼らが国民的となった証だと感じた。
そして、彼らのパフォーマンスが終わった瞬間、NHKホールの客席から男性の
「嵐、紅白ありがとう〜〜!!!」
との声が飛んだのだ。
こんなことがあるだろうか。
その時の興奮と感動が、今でも忘れられない。
まさしく国民「待望の」出場だったのだ、と感じたのだ。
だから、今回の初出場に岩橋くんがいないことは、残念だ。
ただ、逆にいうと6人での初出場が課題として残されてある、とも捉えられる。
まだもう一つの「初出場」という目標があるのだ。
岩橋くんがいつでも帰って来られるように、この波を止めないためにも。
この平成最後の年というメモリアルイヤーに!記念すべき一年の締めくくりとして、最高のパフォーマンスが見られることを、願っている。
本当に、おめでとう。
夢を、ありがとう。
”遠くはない存在”
RIDE ON TIME、全4回の放送が終了した。
(何度でもいうが、私の住んでいる地域では未だ放送予定がない。なぜ。お願いします、関テレさま…)
その最終回で、平野くんがファンのことを「遠い存在ではないと思っている」と言っていたことに少しの戸惑いを覚えて、当ブログを綴ることとした。
ファンの人を遠い存在だとは思っていない。
その言葉に嘘偽りはないのであろうと思う。
そしてこの感覚は、平野くんが”ジャニーズ所属”"King&Princeのメンバー"として、映画撮影やバラエティーなどの対外的な現場を経験してきたからこそ、より感じるようになったものかもしれない。
ニノが落合さんとの対談で、コンサートの空間は特別でファンはみんな俺らの味方(だから、そこベースで何事も考えてはいけない)と語っていたものと同じことだろうと思う。
それは理解ができる。
ただ、さらに彼は、今月発売のポポロ12月号における連載で、
「昔からのファンの人は顔を覚えている」
とまで言った。
これには驚きを隠せない。
ファン同士の争いを諌めるためとはいえ、そこまで平野くんが言う日が来るとは…と思った。
これは事実だと思う。ただ、付け加えて言っておきたい。昔から、というのは本当に昔から。
関西時代でも初期の頃だ。
Jr.時代の6年間を総括して「昔」とは言っていないと思う。
私が平野くんのファンになってから、あと少しで4年が経とうとしている。何だかんだ速いものだ。
しかし私は、平野くんのことを遠くない存在だと感じたことは一度もない。
平野くんという存在を認識したその瞬間から、彼のことを「未来の大スター」として見ていた。
そのスター性は疑う余地がなかった。
そう信じた自分の直感は確かなものだったらしいと思えてしまうくらいには、今の平野紫耀くん、そしてKing & Princeは破竹の勢いを見せている。
だからこそ、EXのような小さい箱で毎日のようにコンサートをしたり、帝国劇場という格式高い劇場でとは言え、ジャニーズのファンの目にしか触れないような場所に閉じ込められたり、そんな状態が3年間も繰り返し続いていた状態には、違和感しかなかった。
極め付けは、600人キャパの湾岸スタジオでのライブである。
私は幸いにも参加することができ幸せな空間を体感できたが、需要に見合っていない小さすぎるキャパシティーでのライブ自体の具体的なメリットはあまり理解できなかった。
ただ、こうした時代を経験できること自体がすごく貴重な経験だと思っていたので、(EXにはほとほと縁がなかったけど)各現場にできるだけ多く入れるように足繁く通ったものであった。
その期間、平野紫耀くんが手の届きそうな距離に(湾岸やクリエでは客席までハイタッチをしに来ていたし)近づくこともあった。
にもかかわわかず、いや、物理的な距離が近ければ近いほどむしろ、
「紫耀くんって手の届かない存在だなぁ」
と感じてきた。
その目の奥はこちらを捉えていない。たとえこちらを向いていても、焦点が合っていない目をしている。
始めは、私の思い違いかと思った。
集合体恐怖症だから、ぼやかしてみているのかもしれない、多忙を極めているからかもしれない。
いろんな要因は考えられるが、もしかすると原因はこちらにあるのかもしれない。
思い当たる節が2点ある。
一点目。そもそも、平野くんは私のような人間は好きではないであろうという劣等感がある。
私は、自分が好きだなと感じたことを人と共有したがる。でも、「ここ好き〜!」だけではもったいないと思ってしまう節があって、どこがどのように好きなのかを懸命に言葉にしてしまう。
それが時に、自分でも理屈っぽいと感じるし、押し付けのようにさえ感じてしまう人もいるのではないかという不安もある。
対して平野くんは、くどくどとした理屈や言葉になど頼らずとも、その感覚で人を魅了する力がある。いわゆる表現力、とも言えるであろう。
だからきっと、自分の意見を大きな声で主張したり、論理的に説き伏せようとする人間は苦手なんだろうなぁと思う。
そういった性質を、本能的に嗅ぎとられていそうだな、と思うこともある。
私は、比較的新しい人間である上、地方に住んでいるため現場に毎日のように足を運ぶことは不可能である。よって、自分のファンとして認識されているはずがない。
それでも、これまで平野くんと近い距離になればなるほど目を合わせてはもらえないという経験をしてきた。
本能で嗅ぎ分けているのだと思う。
悩んだ。
自分が嫌いな人種に応援されることは果たして嫌ではないのだろうか。
彼に迷惑をかけてしまうくらいならば、せめて現場に行くのはやめてあげた方がいいのではないだろうか。
考えすぎだと、自意識過剰だと笑われることもあったが、そう思わずにはいられないくらいに平野くんに受容されていないと感じることもあった。
ただ、密やかに、彼を遠くからスターだと崇める分には、迷惑をかけることもないだろうと応援を続けさせていただくことにしたのだ。
そういった引け目もある分、この彼の放つ「ファン」には私は入っていないのだろうなぁという劣等感に似たものがある。
二点目として、私の周りにいるファンの方々があまりに偉大すぎるというのが考えられる。
「顔を何となく覚えている」という言葉を見て私が思い出したのは、彼女たちの顔であった。
やはり現場にいて、目立つ人はいる。
そこにいるとは事前に知らなくても、こちらが見つけてしまうような華がある方々…しかも、彼女たちは古くから応援されているので、平野くんが彼女たちを認識しているのかもなぁと感じる場面は何度もあった。
さらに言えば、確実に認識されている方々も数人いる。そういった方々と、平野くんとの絆は、私には眩しくもあり、思わず手を合わせたくもなる。
だから、今回の彼の言葉は彼女たちに適応されるものだと瞬時に判断していた。
それに気づいた時、自分の所在が分からなくなった。
確かに新しい方の人間なのだが、私は、彼の言う「新しいファン」に分類されてもいいのだろうか?
そういうには、色落ちしていまいか。きっと眼差しに輝きがない。
どこか彼のことを息子のように見守ってしまう時がある。知ったような口調で話してしまう時がある。既出の情報に新鮮に驚けない。
本当に厚かましい話しだ。
好きになりたてのホヤホヤした気持ちが足りない。
中途半端な存在。私は平野くんのファンとして、カウントされているだろうか。
だからこそ、あえて宣言しておきたい。
平野くんは、私にとって遠い存在だ。
彼が(特に最近は)素直に思いを言葉にしてくれるので、彼のことがわかったような気になってしまうことはある。
時に彼の心情を憶測して、それが後に彼の所感とぴったり一致していたのだとわかって、あぁ私の思い描く彼の姿ってあながち間違ってはいないのかもなんて感じることもある。
でもそれは、きっと勘違いだ。
彼の真髄など、わかったもんじゃない。
私は彼のことを、少しもわかっちゃいないのだ。
私よりもより近しいファンの方々の言動を見ると、ふと現実を強く意識する。
思い込んではならない。
押し付けてはならない。
私が愛しているのは、私のつくりあげた虚像なのである。
自戒を込めて、ここに記す。
RIDE ON TIME 〜時が奏でるリアルストーリー〜 初回放送
10/5 新番組「連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME〜時が奏でるリアルストーリー〜」の初回放送があった。
King&Princeを8ヶ月もの長期にわたり密着してくださっていたということで非常に楽しみにしていたのだが、まず一言お伝えしたい。
関西でも放送してくださーーーい!!
ただ、FOD配信があったおかげで関西住みの私も、翌日には公式に楽しむことができました。ありがとうございます…!!
とても素敵な番組だったので、本当に自分のHDDに録画したいです…お願いします、偉いお方…!
さてさて今回は、その放送内容を受けて感じたことを綴らせていただこうと思う。
初回放送のサブタイトルは「知られざる想い」
KIng&Princeのグループやメンバーの紹介に始まり、平野紫耀くんと髙橋海人くんの密着が主に取り上げられいた。
その中で、平野くんが語るアイドル論や本音は、特に我々が抱いていた印象とそう大きく相違なかったように思う。
それは、平野くんが「素の自分を愛して欲しい」という姿勢を貫き、嘘のない言葉を雑誌のインタビュー等で届けてきてくれていたからに違いない。
ただ、こうして本人の口から語られる言葉を、(編集があるとはいえ)本人の声に乗せてありのまま聞ける機会というのはそうそうなかったように思う。
そもそも、平野くんは自分のことを語りたがらない印象があった。
だから、一番最初に抱いた感想は
「紫耀くん、自分の思いをはっきりと言葉にして表現してくれるようになったなぁ」
というものであった。
デビューして一年も経たぬうちに、こんなに率直に「やめようと思ってた」と語ってくれるとは思ってもみなかったのだ。
ただ、今回の放送で最も衝撃的だったのは
「CMの契約が切れたら」
という期限に彼が言及した点であった。
期限付きだったのだ。むしろ、CMがなければもっと早くに「パツッ」といなくなっていた可能性もあるらしい。もしも、と思わずにはいられない。
そもそも、彼が辞めようとしているのではないか、という疑念を抱くファンは少なくなかった。
私が一番衝撃を受けて覚えているのは、Mr.KINGとして出たSho-comi(2017年1月号)の中で、今年の目標として放った「俺は時間が許す限り、資格とか取ってみたいな。」「介護、あと保育士。」という発言である。
転職の匂いしかしない。アイドルとして生かすことができそうな資格ならまだしも、明らかに多くの人が本職として取得する資格ばかりだったからだ。
そこから、なりたい職業はさらに自衛隊にも及び(これは詳しい出典は忘れてしまった。思い出し次第、追記する。)、ますます「アイドルじゃなかったら…」という発想を彼が抱いているのだなと感じるようになった。
違った側面からも、同じことを感じていた。
それは、彼が「家庭」に言及するようになったことである。
Sho-comi 2017年2月号では、告白の言葉として「パパになってください」と挙げていた。
それ以外にも、彼が「結婚」や「家庭」を思わせるような発言を多くしていた。その中には、「なるべく早く結婚したい」という内容のものさえあった。
映画honeyの匂わせだったのではないかという見解もあるが、私はそれより以前から家庭に対する憧れを抱き、躊躇なく発していたと踏んでいる。
アイドルを生涯続けるつもりならば叶うことのないその発言に、切なくなるばかりであった。
紫耀くんの思い描く未来にはいつもあたたか〜い家庭があって、紫耀くんの口から語られる夢は一刻も早く叶って欲しいという気持ちと、アイドルとして第一線で活躍し続けていって欲しい気持ちとがうらはら。
— いっぽ (@nh_ppppp) August 23, 2017
ただ、お仕事が継続的にあったし、彼はプロ意識も責任感も人一倍ある人だと思うから、
平野くんがその時まさに辞めようと思っていたなどとは、私自身は露ほども思っていなかった。
周りがざわついても、「いやいや、そう簡単には辞めさせてもらえないと思いますよ〜」なんて笑い飛ばしていたのだ。
ただ一方で、不安やモヤモヤした気持ちを抱えていたことも否めない。
紫耀くんの中に、揺らぎを感じていた。
思い当たる節がたくさんあったので、2017年初頭〜初夏までを振り返ってみた。
モヤモヤは、ジャニアイに始まる。
私が観劇したのは、たったの1回。しかも、2ヶ月ロングラン公演中の折り返しにも当たるような、微妙な日程であった。
ただ初日に観劇した方々からの感想やレポを見て、衝撃を受けた。
なぜ、こんなプライベートなことにまで切り込まれねばならぬのか。
正直言って、初めはフィクションだと思っていた。
しかし、翌日の新聞記事でそれらが「事実である」ということを知った。
あまりのショックと悲しさとで、その日1日落ち込んでいたことを思い出す。
さらには、その時の彼らの扱いにも憤りを感じていた。
事実として劇中でそれぞれが激白をさせられていた。中でも、新たに本人の口から告げられたことは
佐藤勝利くんの「お父さんの死」
平野紫耀くんの「お母さんの脳腫瘍」
岸くんの「父子家庭である事実」
などである。
どれも、このようにして文字として残すことさえ本意ではない。彼らの触れられたくないことに、触れたくない。
それほどに、センシティブな話題であると私自身が感じているからだ。
しかし、モヤモヤしたのはこれらの扱いである。
翌日の新聞記事は、勝利くんのお父さんとの死別を大きく取り上げるものばかりで、平野くんの激白は小さく添えてあるか、「平野も…」と文中で軽く取り上げられるのみであった。(岸くんに至っては記事にさえなっていなかったと思う。)
こんなにも繊細な話題を題材として公表させておいて、本人たちにも泣きながら激白させておいて、ついででしかないのか。
デビューしているかどうかが、これほどまでに扱いを変えてしまうものなのか。
舞台そのものは、平野くんがメインを張っていると言っても過言ではなかった。出番も見せ場も多かった。
こんなにも頑張っているのに、あんまりではなかろうか。
そのモヤモヤは、継続する。
Jr.祭り、横アリでのことだ。
参戦したキングファンから、落胆」の声が漏れてきた。
他と比べてコンサートが下手だった、というものだった。
私は、その一ヶ月後にたまアリに参戦した。
正直、下手くそだとは思わなかった。ただあまりの横並びの扱いに、本人たちが「これといって強みがないけれども」と前置きしたくなる気持ちもわかった。
それほどに、他のプロデュース力は目をみはるものがあった。
そして何より、紫耀くんに覇気がなかった。
花粉症だと言われていたが、その翌年にはあんなにも爛々と目を輝かせてパフォーマンスしていたのだから、それだけではなかったのだろう。
気だるげで、危うげで、それはそれで色気があるものだったが、そこに「いつか消えてしまうのではないか」と不安を覚えていたことも否めない。
そして、東京B少年への声援の多さにも、圧倒されるばかりであった。彼らの存在こそ”フレッシュ”の象徴であり、未熟ではあれど、穢れのない麗しさにオタクが総出で目を輝かせるのも納得できた。
ただ一方で、その勢いに焦燥感を抱いてしまったことも事実である。
さらに、ジャニーズ大運動会で私の気持ちは大きく揺れた。
当該記事にもある通り、衝撃的だった。
ドーム全体からの声援は、東京B少年の那須くんのほうが大きかったのである。
これは、その場にいたファンしかわからないことであるが、はっきり言って焦る。しかも、平野くんはいつメンとばかり絡んで、全然アピールしようという気概が感じられなかった。
…本人が語る通り、元々 承認欲求はあれど自己顕示欲は強い方ではない。それが品であり、良さでもある。
ただ、この時にはそれが逆に辛かった。悔しかったのだ。
事務所からの扱いは、変わらず手厚いものであったし、その待遇に文句はなかった。
事実、その運動会中に冠番組の発表があったのだ。
だが一方で、こうしていずれは「旬を逃す」ことになるのでは、と焦りや不安を感じずにはいられなかった。
さらには、「本人たちが選曲した」としてオリジナル曲の「Alright」が披露された。
はっきり言って、不安定だったとしか言えない。ただ、そんな不安の中で、必死にもがきながら、ステージに立つことを選択し続けてくれているのだ、と。
それを感じて、自身がプライベートで不安の最中にいた私は、その歌詞や姿勢に勇気をもらい続けていたのを思い出す。
これらの思いが、今回の発言を通して一つの線でつながった。
なるほど、彼の揺らぎを私たちも感じてしまっていたのか。
紫耀くんは優しい人だから、それを言葉にすることはなかったけれど、ファンにはちゃんと伝わるものなのだな、と改めて感じた。
彼が責任感のある人でよかった。
事務所の人が、素敵な言葉で引き留めてくれてよかった。
本当に、愛・感謝である。
さらに、彼自身が「僕の親、死にかけてたんで」とカラッと語ってくれたおかげで、もう一つのモヤモヤも解消した。
彼の中で、昇華できた出来事なのだろうと感じる。
もう、現在進行形ではないよ、と教えてくれているように感じた。
去年の秋頃に「認めてもらった形が欲しい」とはっきり言葉にするようになり、随分とたくましくなったな、、、
と感じていた頃にはもう、この世界でやっていくことを決意した上で、交渉に入っていたんじゃないかと思う。
もちろん「これで無理なら辞めてやろう」という気持ちで、一世一代の賭けに挑んでいたのだろうと思うが。個人的には、9月にはパツッと辞めるよりもデビューして活躍したい、という気持ちの方を明確に持っていたのではないかと考えている。
1/17という舞台期間中に会見をしたことを不思議に思っていたが、もしかするとCMの契約期間も関係しているかもしれない、などという邪推もしてしまう。
ともあれ、彼の口からこうして真実が語られること、それを多くの人々が共通認識として共有できたことに感謝である。
彼は、知れば知るほどに男らしく、芯の通った強い人だ。
その強さを色濃く感じるようになった。
自分の目は、間違っていないと感じる。
そして改めて、私はこの人についていきたいと強く思った。
彼がこれから見せてくれる伝説を、この目にしかと焼き付けたい。
アイドル”嵐”の覚悟を見たJaponism
あくまでも、今の私は平野担なので他担の戯言と思っていただきたい。
先日、Eテレで放送されたSWITCHインタビューでのニノのアイドルとしての思想が反響を呼んでいるのを見て、私がかつてJaponismツアーにて感じたものに近いなぁと思った。
だが、担降りを機に嵐用のTwitterアカウントを消してしまったため、
2015年のツアー「Japonism」を通して感じたことを、どこにも残せていないことに気づいた。
そこで、改めて文章化しておきたいと考え、こちらのブログに綴らせていただきたい。
ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism
2015年の秋、アルバムJaponismを提げて5大ドームで行われたツアーだ。
私は、相変わらず落選してしまったが、なんとか友人に京セラ公演に連れて行ってもらった。
細かい演出等については、記憶は定かではない。(Blu-rayを見れば良い話だが…)
嵐の現場については、今や絶対に映像化されるので気を抜いていたというのもある。
ただ、本当に彼らのコンサートはドームという広い空間であっても
すべての人たちが幸せになる。
事実、ドームの天井にも何度か入ったが不満を抱いたことはない。
デジあたりからは、映像化された時を意識してなのか、制御されたペンラ(ファンライト)を使用するようになっていたのもあって、
天井から見える全体の景色もまた、演出の一部となってきたなぁと感じた。
例えばニノのソロでは、可愛らしい曲調に乗せてニノがタップダンスしながら、光で遊ぶ演出があったりと、遠くの人たちにまで意識の行き届いたパフォーマンスを披露してくれた。
こうした着想の根底には、松本潤という人の存在が大きくあることは間違いない。
一朝一夕でここまでたどり着いたわけではないと思うが、コンサートという場を何よりも大切にしてきた彼らだからこそ、作り上げることのできる空間であると感じる。
そんな彼らも、2015年はデビューして17年目。
10周年のあのフィーバーからも6年が経っていた。
また、SMAP解散の報道が流れるなど、ジャニーズ事務所全体に不穏な空気が流れていた時期でもあった。
そんな時期に彼らが見せてくれたコンサートは、私にとって非常に印象的だった。
まず、メッセージが明瞭であった。
「原点回帰」をテーマとしており、ジャニーズ事務所の歴史を辿るような演出があった。
例えば、Masqueradeや日本よいとこ摩訶不思議の披露などである。
Masqueradeは、少年隊の仮面舞踏会をオマージュしたかのような曲であり、振り付けにもそれを意識させるものがあった。
後者の摩訶不思議は、正しく少年隊さんのカバーである。さらに、このパフォーマンス中に大野くんとニノがバク転をした。
ニノは腰痛持ちだ。それゆえに、アクロバットを封印してきたことも有名な話であろう。(事実、ニノがアクロバットを見たいという要望に対して「俺、腰やっちゃってんのよ。だからできない」と答えているのを見たことがある。)15周年のBlastではその密着において、腰を痛めている様子も流れ、多くのファンが心を痛めた。
そんなニノが、すでに人気を不動のものとした2015年当時にあえて、ツアーでバク転をやり通したことに、本人たちの強い意志と「原点回帰」の意味を見た。
更に、そのような「原点回帰」を通して、ジャニーズ事務所の歴史という数直線における自分たちの立ち位置に対する確固たる「自覚」を見たような気がした。
先に述べたように、先輩方から受け継ぎしジャニーズエンターテインメントをぎゅっと濃縮したもののみならず、それを後輩たちにも引き継いでいこうという意識も透けて見えたのだ。
バックにトラジャが付いていたというのも、大きな要因であったかもしれない。
毎年、嵐のバックについているジュニアたちではなく、踊りは一級品でメインでも公演をするような人気ジュニアだ。
もしかすると、絶対的な先駆者であったはずの先輩に、あのような報道があったというバックグラウンドを私が意識してしまっていたから更に強く感じてしまったのかもしれない。
ただ、彼らがこれから先にリーディンググループとして、事務所を引っ張っていく覚悟を決めたのだな、と感じた。
これは、嵐としての新たなフェーズを迎えたのだな、と解釈した、
そうか、これはまた新たなターニングポイントに立ち会えたのではないか、と。
デビューして15年以上経過していても、国民的な人気を誇るようになっても、まだまだこんな「進化」を見られるのだと。感動を与えてくれるのだと。
だから私は、担降りできなかった。掛け持ちを続けずにはいられなかった。
平野くんへの愛情が深さを増していたにもかかわらず、である。
そして、最近のSWITCHで二宮さんが「先輩方が切り開いてくれた道を、少しでも後輩たちが通りやすいように」という意味の発言をしていた。
そうだ、嵐として事務所全体を担っているのだ。
その意識を、本人の口から聞けたことが嬉しかった。落合陽一さん、ありがとうございます。
ちなみに。落合さんと話したいという発言を聞いて、ニノってなんてチャレンジャーなの!?と驚いた。私は絶対に話したくはない、馬鹿が露呈するからだ。
でも、それだけニノにも確かな素地も自信もあるということだ。頭の回転が速い。かつ、落合さんは時代の先を行く人なので、人を評価している暇などないのだろうとも思う。
ただ、終わってみれば大変興味深いインタビューであり、かつ心地の良い会話の応酬であった。さすが二宮和也だ。この人の底がしれない。
新規古参って何ですか
先に述べておくが、私は永遠の新規である。
それは、どの時期に好きになってもそう思っていたのかもしれないとも思う。
誰も生まれた頃からの歴史をくまなく見知ることはできないし、往々にして自分よりも早くファンになった人がいるものだ。
ファンになりたての時には、もっとその人のことを知りたいと情報を収集する。そのためには、先輩ファンからの教えを請うというのが常套手段である。
そうして親交を深め、ファン仲間を形成する以上は、自分は相対的に見て「新規」だ。
そして、私は松竹座で歌って踊ってお芝居をする紫耀くんを生で見ていない、という点において「永遠の」新規なのだ。
これはもう、越えることのできない壁である。
もちろん日生Anotherも全ツもかすりもしていない。
さらに言えば、あのドリボ2014もクリエもチケット戦争に勝てず見られていない。
見ておきたかったと願うのに二度と見ることの叶わない現場が、沢山ある。
今年の5月にKing & Prince として平野紫耀くんがデビューを果たしてからというもの、彼のファン層は顕著に膨れ上がったようだ。
実際には、私たちファンがその実態を具体的な数値として知る術はないのだが、TwitterなどのSNSを使用するに際しての体感としても、平野くんの話題に興味を持っている人が増えたなと思う。
では、このデビューという大きな区切りの出現により、私は「古参」になるのか?
答えは、Noである。
なぜなら、新規古参という言葉の発端そのものが「相対評価」によるからである。
周りの諸先輩方の担当歴が私より下回ることはない。
その差が、体感として徐々に薄れていくことはあっても、である。
だから私は未だに、お友達に「平野紫耀」について教えて欲しいとお願いしたり意見を求めたりする。
私は平野くんについて十分に知りえない。先は長いのである。
私が平野くんを好きになった当初、知り合った人たちの中で一番古い人で担当歴が3年弱であった。
そうした先輩方から沢山の情報や映像をいただきながら、私は平野くんのファンとして自分が見知りしなかった部分にまで、思いを至らせてきた。
そうこうしているうちに、自分の平野担歴はあの先輩方に出会った当初「長い担当歴」と認識していた3年を悠に超えていた。
それでもまだまだ、私は「永遠の新規」である。
彼のことを新鮮に素敵だと思い、賛辞し、そのパフォーマンスを享受する。
そこに、他の人の価値観など関係がないのである。
ただ、ファン同士の関係性において学んだこともたくさんあった。
今になれば、当時の先輩ファンさんたちがどれほど寛容な心で私を仲間に入れてくださったのか、どれほど気に触る発言をしてしまっていたことか、分かるようになった。
だからこそ、彼女たちには余計に頭が上がらない。
そんな私でも、今までにたくさんの思い出を作ってきた。
それはどれも、大切な宝物であり、
あるいは他の誰かからすれば「見たかった」と切に願うものなのかもしれない。
どの時期に好きになったって、見たかった、知っていたかったと願うものは尽きない。
だったら、今からの時間を大切にするべきだ、というのが私の姿勢だ。
新規にも古参にも、待ち受けているのは平等な未来だ。
今現在、彼らが提供してくれているもの、
これから彼らが提供してくれるもの、
どれもみんなに平等に与えられている。
残念ながら、知ったかをされてしまうことは、気持ちがいいものではない。それは事実だ。
ただ、どちらが上ということはない。遠い未来にまで視点をずらせば、新たに好きになったあなたの方が長く彼を見続けられているかもしれないのだ。
自分より長く応援している人、自分より新しくファンになった人、皆んなと共に
これからの彼らの活躍を楽しみたい。
私の思う"しょうれん"
平野担をしてきた中で、やはり"しょうれん"は避けて通れない話題の一つであると感じている。
だって、二人はずっと一緒にいたから。
しょうれんは、家族であり、メンバーであり、ライバルであり、相方である。
ただ、私の思うしょうれんは『兄弟』に近い。
二人を見ていると、二人が普通に生活していたとしたら絶対交わることがなかっただろうなと思う。
しかし、奇しくも二人はジャニーズ事務所に入所し、同時代に関西ジャニーズジュニアとして活動を開始した。
そして、少しずつ食い違うことはあっても(紫耀くんはセクパワ、廉くんは春松竹など)結局はやっぱりずっと一緒にいた。
それは本人たちが一番感じていることなのではないだろうか。
だから、二人はしきりに「ずっと隣にいるね」と。
「隣にいなかったら違和感ある」と。
「振り返れば、キミがいた」と平野くんが言ったのは、紛れもなく本当に彼が感じたままなのだろうと思う。
関西にいた当時、廉くんは「紫耀大好き!」を全身で表現する人だったようだ。
それは、幼かったからかもしれない。
過去資料からしか知りえなかったが、純粋無垢とはまさしくこのことか!と思ったものだ。
同じグループで活動を続けていた大ちゃん(西畑さん家の方です)と紫耀くんにどっちか選んで!と迫られて、当惑している様子なんて本当に可愛くて可愛くて。
それを二人もまた、可愛いと思っていじっていたのだろう。
間違いなく平野くんは愛を持って、廉くんを弟のように可愛がっていたと感じる。
そして、時が経ち、様相が変わり始める。
しょうくんと廉くんがセットで売り出されるようになる。
舞台「DREAM BOYS 2014」では、関西Jr.から2人だけが抜擢されるばかりか、主要キャストとして記者会見にまで登場する。
(正直この頃は、うっすらとしか認知していなかったが、それでも平野くんの「関西ジャニーズJr.の中でゴリラって呼ばれてるんですよ」ははっきりと記憶にある。)
年始のジャニワ、少クラや雑誌など、髙橋海人くんも合わせた3人での仕事の割合が増していく。
関西においても二人だけがグレードアップした衣装を着ていることが増えた。
そうして、二人は一緒に上京を果たす。
上京、と一口に言ってもそれはジワリ、ジワリと液体が布に染み込むように完遂したことであった。
まずは平野くんが松竹座から姿を消す。
春松竹の初日と夏の少年たちの楽に現れた以降は、デビューが決まるまで松竹座に見学さえ行かなかった。
多忙を極めていたことや大阪に家があるわけではないことなど、様々な理由はあるかもしれない。
しかし私は、それが彼なりの「覚悟であった」と解釈している。
(詳細については、こちらの記事を確認していただきたい)
一方で、廉くんは春松竹で単独の座長を経たのち、途中からSexy Power Tour にバックとして加わった。
そして、夏松竹(少年たち)にはもう、名をつらねることはなくなった。
なにきん、と呼ばれる6人で出演していた「まいど!ジャ〜ニィ〜」からもやがて姿を消す。
初めこそ、今は東京で多忙だからいないのだ、次回からは戻ってくるかもしれない!などとかすかな希望を捨てきれずにいたものだが、不思議なもので段階を経ていくうちに、彼らが関西の現場にいないことにももう驚かなくなっていった。
こうしてジワリジワリと、二人は東京へと進出して行ったのだ。
物議を醸した。
ジャニーズWESTののんちゃんも、ラジオで「戻ってこい」と発言するなど、身内からも関西にいて欲しいと願われることもあった。
挙句、「関西を捨てた」と考える人もいた。捨てるわけがない。
必ずしも祝福ムードとは言えない状況で、彼らは活躍の場を変えたことになる。
反発は、関西を愛する人たちからだけではなかった。
東京に来てクリエAを担当するとして組まされた4人のうち、海人くん以外の3人は、もともと東京で宮近くんと顕嵐くんと5人で”クリエセクボ”として親しまれているようであった。
関西から2人が来たせいで、セクボが解体となった!と叫ぶ人もいた。
何か変化があった時には、反対する人が一定数いるものだ。
ただ、今回はその声が倍だった。
しょうれんが感じた圧はいかほどのものであったのだろうか、と思う。
その圧を2人は、共に経験してきたのである。
しかし、それを受けての二人の姿勢は、全く相反するものであった。
廉くんは今まで以上に、関西を大切にした。
それは、誰が見てもわかる形で。
素直で真っ直ぐな人だから、本心をそのままに伝えてしまう。「関西に帰りたい」と雑誌で漏らした時には、あまりにも胸が痛かった。
春夏冬と松竹での公演がある中、彼はほとんどすべてに見学に赴いた。
「今回は流石に無理かも…」といっても何だかんだ顔を出すのだから、傍から見ていても関西への思い入れは相当なものだったのだろうとわかる。顔をキャップで厳重に隠してでも、多忙なスケジュールのわずかな合間を縫ってでも、見に行ったこともあった。
一方で紫耀くんは、関西の現場にはほぼほぼ現れなかった。
元よりマメに見学するタイプではない。どちらかというとオフは友達と遊びたいのだ。どんなに多忙でも、友人とのテーマパークで遊ぶ様子が目撃されることも珍しくない。(若い。本当に体力が底なしだ。)
それでも頑なに、関西の松竹座に顔を出すことはなかった。
そうして、デビューが発表となったすぐ後、あの時を迎える。
平野紫耀、3年ぶりの松竹座見学である。
私はそこに、彼の覚悟を見た。
デビューという形で、自身の成果を残せたからこそやっと、凱旋したのだ。
彼にとっては紛れもなく、ジャニーズとしての基盤を築いた地であり、「故郷」なのである。
彼にも、関西に対して愛がある。
ただその表現は、非常に不器用である。
東京に出てきた大人の男の人が、照れて母親をけなしてしまったり、田舎を悪く言ってしまうような、そんな趣がある。
甘えられる場所、なのではなかろうか。
ただ、こうした姿勢の違いから、二人の間には少しずつ物理的な距離が生まれて行く。
プライベートで遊ぶ姿が、ほとんど全く目撃されなくなった。
仕事終わりに、ご飯に行くことはあったのかもしれないが、本人たちの口から二人で出かけた際の話はパッタリと出なくなってしまった。
紫耀くんは、どんどん神宮寺くん岩橋くん慎太郎くんと遊ぶようになり、「いつメン」と呼ばれるにまでなった。(カイちゃんの参入はもう少し後)
廉くんは、東京でお友達を作るより、関西に戻ってきては地元の子や(西畑)大ちゃんと遊んでいたようだった。
廉くんの方に、紫耀くんを理解できないという反抗心もあったことであろう。
なぜ、関西に対してそうスパッと割り切れるのか。
(これは平野くんの秘めたる野心によるところが大きいので、それを廉くんと共有しなかった罪は正直大きいと思うが、まだ廉くんには伝わらないかもしれないという不安もあったかもしれないし、そもそも自分の話を人と共有しなさそうな人間なので仕方ないんだろうなぁ…と思っている。)
そして、廉くんのファンの方が「二人で上京した時、もっと面倒を見て欲しかった」と嘆いている様子も見たことがある。
確かにそうだ。
平野くんの方がすぐに東京に順応して、仲良しな友達まで見つけてしまったのに対して
廉くんは移行に時間がかかった。
徐々に、長妻くんや顕嵐くんと仲良く遊ぶ姿が目撃されるようになり、ホッと胸をなでおろした覚えがある。
ただ、紫耀くんからすれば、何もかも自分が廉の面倒を甲斐甲斐しく見ろと言われれば、拒みたい気持ちがあったのではないかと推察している。
それでも、彼の方から廉くんと離れる、という選択肢はなかったように思える。
「何かあったら俺に言え」「廉と海人は守るべき存在」なのである。
紫耀くんにとって廉くんは大切な存在であり、他の誰かが廉くんを傷つけるとなれば許せないことのなのである。
まさしくこれは、『兄弟』である。
「振り返れば、キミがいた」
廉くんとは共に過ごしていくことが彼らの中で、当然の未来だったからこそ
機嫌をとったり、愛想を振りまいたりすることもない。
お互いの信頼関係の中で、成り立っている関係。
これこそ、『Brother』の名にふさわしい関係性であると感じた。
ただこのすれ違いの時期にも、間に可愛い可愛い海人くんがいてくれたからこそ、
崩壊せずに済んだことは間違いない。
二人が無意識のうちに共有してしまっているバックグラウンドを、うまく受容して、吸収して、衝突時には緩衝材として場を和ませる。
本当にカイちゃんの功績は偉大だ。
彼でなければ、しょうれんの間にすっぽり収まることはできなかったであろう。
そして、デビューして3か月経っている今、しょうれん二人の関係性がまた変わりつつある。
私感では、廉くんの方が「吹っ切れた」という印象だ。
キンプリでは、いつメンに遠慮して全然話に入れなかった廉くんが、生き生きとMCを回している。
しょうれんの阿吽の呼吸で話が進む。
スピード感が尋常じゃない。
そうそう、それが見たかったの!でも、供給過多じゃない?と心配になるくらい。
そもそも、紫耀くんと廉くんは正反対である。
二人とも賢い。
だが、紫耀くんの賢さは教養とはかけ離れたところにある。感覚派だ。ある程度は天性の勘でこなしてしまう。
一方で、廉くんの賢さは教養と努力にある。できないことにもコツコツ取り組んで、ゆっくり上達していく。
そんな二人が、背中合わせになって、背中を預けあって進んでゆく様は、一つの壮大な物語である。
まだまだ、完全に理解し合っているかどうかはわからない。修復途上といった感は否めない。
ただこれから何十年とともに過ごす仲間だ。
いつか彼らがもっと大人になって、お互いを尊重し、お互いの存在を心から認め合った瞬間に立ち会いたいなと思う。
そして、「Brother」をまた歌ってくれたら。
未だ見ぬその時が、楽しみで仕方ない。