虚像を愛する

平野紫耀くんを応援しています。だいたい寝言。

髙橋海人くんについて

平野くんのファンである私から見た、髙橋海人というアイドルについて。

 

カイちゃんは、甘え上手な弟属性である一方で、表現力の鬼。

正直、キンプリの中で1番ビッグになる素養があると思っている。

私が平野くんのファンになってから、その成長をリアルタイムで見届けた中で最も大きく変化を遂げたと感じるうちの1人である。(もう1人は大西流星くん。)

 

それは、年齢的な要素が大きいことは否めない。

平野くんは17〜22歳(現在)を見てきたのに対して、カイちゃんは14歳の頃から見ていた記憶がある。

というか、見ざるを得なかった、入所するやいなや、いやでも話題に上がるようなスーパールーキーぶりだったからだ。

しかも、あのハイトーンすぎるボイス。ゴリゴリのストリート系の見かけで、話し始めたらフワフワボイスである様子に皆んながザワついていた覚えがある。

ただ同時に、当時私が目にしたのはカイちゃんに対する"批判"だった。

 

いきなりジュニア歴の壁を超越して、センターに立ち、マイクを持って歌い踊る彼に対して、

すでに人気を博している"先輩ジュニア"ファンからの反感はあからさまなものだった。「オキニ」と皮肉めいた(やっかみにも似た)発言を投げつけられていたように思う。

合わせて、紫耀くんや廉くんとドリボで共に活動する機会が増えれば、

関西からも「れんしょうを返せ」などという声が上がっていた。

別にカイちゃんが、彼らを東京に呼びつけたわけではない。

彼らのキャリアパスの途上に、上京があっただけだ。

キンプリが結成されれば、同時に一部の過激なプリ担さんから「MAGICを解体させた!!!」と怒りの矛先はキング3人に向くこともあった。

そうか、カイちゃんは東からも西からも、外様として言葉の刃を突き立てられるのか、と驚いた覚えもある。

そう、彼は何も悪くないのに。

運といえばそれまでなのかもしれないが、その後も納得できない場面は多くあった。

カイちゃんはただ、一緒に活動する紫耀と廉を、好きだと声に出して言ってくれているだけなのに。

やり場のない思いをぶつけるには、格好の対象だったのかもしれない。

だが、当時彼はまだ中学生だ。

幼いながらに細かいことを嫌味のように指摘されたり、批判されたり、時には毒のある言葉を突きつけられ、

辛い思いもしたのだろうと思う。

ダンスが好きでたまらないとはいっても、

彼が踊りたかったダンスではなかったかもしれない。

いつ辞めさせてくれるのかと親御さんに泣きついたという話には、やっぱり胸が苦しくなる。

 

そんな中でも、彼は絶えず「紫耀と廉が好きだ」とハッキリ言葉にしてくれていたし、

キンプリ結成後は、初めて所属できたグループだからと大切にしたい意向を表立ってしたり、再度集った際にはお揃いのミサンガを作って渡したりなど(廉くんは付けていなくて責められていたね、小競り合いするれんかい可愛い)

恐れず愛を表現してくれる強い人だった。

Mr.KINGとしての活動中に、3人それぞれが別々で頑張ることとなった2016秋には、

ドリボ劇中でHi Hiの4人(当時)とJohnny's 5だとかいうグループを組まされオリ曲を与えられた時も、はしみずとともにRの法則にレギュラー出演が決まった時も

勝手に不安に駆られる私たちに向かって

Mr.KINGのメンバーとして」という趣旨の発言を繰り返ししてくれていたよね。

その言葉に、何度救われたことか。

その帰属意識に基づいた意思表明の意味を彼自身が分かった上で、無邪気さを盾にしてでもしてくれたことに、感謝してもしきれない。

それは、平野くんがその当時、断じてしてくれなかったことだった。

カイちゃんは、やっぱり2人の足りない部分を補ってくれる存在だったのかもなーと思う。

 

しょうれんがお互いの距離感に戸惑って、はたから見た時に仲が良くないのでは?と言われていた時代(私は別にそんなに疎遠だったとは感じていない。男の子ってそんなもんでしょと思って見ていた。)も、間に入って仲をつなぎとめてくれていたのは、彼だった。

 

カイちゃんの功績って本当に偉大。

すごく賢いなと思う。

ただ私は、その賢さは平野くんとは全く違う種類だと思っていた。

キング3人で話すときの最初の印象が

「一拍遅れて笑う子」

だったのだ。

頭の中で、言葉を咀嚼して飲み下してからリアクションする人なのかなと思っていた。

しょうれんが2人してマシンガンのように言葉を繰り出すタイプなだけに、

カイちゃんだけ取り残される瞬間もあったように記憶している。

 

それが、共に過ごす月日の力は甚大で、

いつしかカイちゃんも凄まじいスピード感で話すようになった。

口調はいまだに穏やかでゆったりしたものだが、ツッコミが的確で鋭くなったし、

間が心地いい。

天性のリズム感もあると思うが、あの2人と会話をし続けていれば、そもそも柔軟な対応力のあるカイちゃんならそりゃそうなるか、と納得の仕上がりである。

ダンスのみならず、普段の会話の中でも

平野くんと2人でリズムで共鳴している瞬間に立ち合うと、めちゃくちゃ興奮してしまう。

カイちゃんが「紫耀の弟」としていてくれたからこそ成せる業だと感じるからだ。

そこまで心を開いていなかったはずの紫耀くんに、上手に甘えて、上手に満たして、上手に似てきて笑、本当に完成された関係性だなと思う。

めちゃくちゃ賢いし、勘がいい。

 

はじめての主演ドラマ、「部活好きじゃなきゃダメですか?」での西野役は、

その勘の良さの真骨頂ともいえるようなお芝居だった。

彼の普段のキャラクターからはかけ離れたタイプであるはずだ。

はじめて配役を聞いた時には、あまり想像ができなかった。カイちゃんがクズ?サボりたい?え??コツコツ対策してテストで満点とる人だよ?正反対じゃーん!と思うなどした。

だけど、蓋を開けてみれば、すごく自然体で、そのさりげなさがさらにかっこよくて。

はっきり言ってめちゃくちゃハマった。じぐいわの2人も流石の愛らしさであったが、私個人は西野が見たくて毎週楽しみにしていた節がある。

私の母は、「芝居を受けるのが上手いね。それってなかなかできることじゃないから、絶対重宝されるよ。」と言っていた。

彼の伸びしろは計り知れない。ドラマ向きなのではないだろうか。もっとお芝居の仕事が来てもいいのに、と思う。

 

さらに、彼の歌声は「表現者」のそれである。

声に表情がある。

透明感のあるクリアな歌声というわけではないが、何かを語りかけるような歌声なのだ。

歌によって、載せる感情が違う。

まるでパレットの上に絵の具を乗せていくように、この曲にはこのテイスト、この世界観にはこの声色、という七変化がピッタリはまる。

これぞ、アイドルの歌声。

ハロプロも好きな私にはその表現力がたまらなく響くらしく、

CDの音源を聴いていても、カイちゃんの歌声を聴くたび「好きだなー」って思う。

 

そして、ダンスももちろん。 

まず、踊っている時の表情が豊かだ。彼は表情ひとつで、色気も、可愛さも、明るさも、憂いも、余裕も、すべてを表現してみせる。何よりいつも踊っていることそのものを100%楽しんでいるのが伝わってくる。表情も含めてダンスなのだと、彼を通して知った。

また、バリエーション豊かなのは表情だけではない。そのモーションもである。

キラキラ可愛らしい歌では、彼の動きにキラキラ✨シャラララーン✨と効果音でもつきそうなくらいに、妖精のような動きをする。

かと思えば、一度ブラックな曲になると、途端にKAITO TAKAHASHIのスイッチがオンになる。その段になってやっと、そういえばこちらの方が彼の得意分野だったのだと思い出される。彼にしか作れない世界観がある。それが繰り広げられれば、一気にその世界観に引き込まれる。例えるならば、ブラックホールに飲み込まれるような感覚。天才なのだ。これは不可抗力だ。

 

伊達に日本一になってないなぁと思う。

 

表現者としてステージの上に立ち続けた彼の生きる様は、全てが何かを表現するためにある。

 

さらには、全てを分かった上で、何も知らないふりをして、素直な言葉をくれる。

彼のことを分かったように思っているのに、本当は彼の思うツボなのかもしれない、と思わされる点で、平野くんとカイちゃんはソックリだ。一本の筋で繋がっている。

これはデビュー後に気づいたことだが、意外と感情を表に出さないでいられる、演じられる人でもあるのだなと思う。なんてことだ。

 

逃走中では、しっかりヒットを打ってくれたカイちゃん。

 

でも、カイちゃんのポテンシャルを思うと、今はまだまだ見つかりきっていないなと思う。キンプリって本当にすごい逸材を抱えすぎている。あぁ、、、これからが楽しみで仕方がない。

情報の線引き

平野くんの言葉たちを追うようになってから折々感じていることの1つに、

「この人は、公にする情報と明かさない情報との間に明確な線引きがあるんだろうなあ」

というのがある。

 

これってお仕事をする上ではすっごく当然のことなのかもしれないけれど、

彼らのお仕事が自分自身を売り出すことである分、自身の"プライベート"と比較しやすく、この線引きを強く感じるのかもしれない。

私自身がプライベートな話をするときには、

そもそも隠し立てをあまりしない方である。

その場の空気やノリ、相手との親睦の深さなど

様々な条件によって、自分についてどこまでの情報を明かすかはかなり揺らぎがある。

だから、あれ?この話ってこの人にしてたっけ?ということはかなり多い。

言ったつもりで言っていないことも多い。

 

だけど平野くんは違う。

メディアに向けて、自分が明かした内容はここまで、というのをきちんと覚えているんだなあと思うことが多い。

素の自分を、ありのままに伝えてくれているのだろうとは思うのに、

めちゃくちゃ頭働かせてるんやん、って思う。神経を張り巡らせ、二手三手先まで読んで、慎重に提示されたものなのだなあと感心しきりである。…あの一瞬でね。

そりゃ、公に向けて発信するわけだから、私がTwitterやここに住所や生年月日を載せたりはしないのと同じかもしれない。

ただ彼らは、本名も、血液型も、家族構成も、マイブームも、また自身の思想に至るまであらゆる情報を搾取され、検索ボタン1つで会ったことも話したこともない人にまで知られ得る"芸能人"なのだ。

さらに、お仕事に関してもコンプライアンスとやらがあって、公表してもいい期日があるらしい。

自分が直接関わった(撮影した)日と、情報公開日とに開きがあったり、各媒体で時系列に差があったりすれば、その場で全てのお仕事について触れていいわけではない。

どのお仕事にも、そういう機密性の高い情報はあるものだろうが、

リアルタイムに進行するものの方が少なくて、

こんな時系列がパズルみたいな状況で、あれやこれやと質問されるなんて気が滅入りそうだなあと思う。

 

そんな特異的な環境にいるからこそ、平野くんの頭の中にはちゃんと

「これはすでに公表した内容」というリストがあるのだろう。

 

好きな食べ物は、ぬれおかき。

太い眉は、生まれたて。

なのだ。

 

さらにディープな例を挙げるとすれば、お母さんの体調のこともそうだ。

あの衝撃のジャニアイでの告白まで、平野くんがお母さんの体調不良に触れることなど一切なかった。

何なら、お母さんのお腹にかえって中から蹴ってやりたい!とか、お母さんにだけは腕相撲で勝てたことがなかった、なんて

強くたくましいママのイメージのエピソードばかり差し出してくれていたように思う。

それを、舞台の題材にされたときには、まぁこちらの気持ちが地の底まで沈み、

最前線に立つということは、ここまで己の身を削らねばならぬことなのか…?と悲しみ、

その反面、知らずにいるよりは知れて良かったのかもしれないと、心に蓋をした覚えがある。

その後、しばらくは本人からお母さんの体調について触れられることはなかった。

だから、私は彼のお母さんの体調のことに触れること自体に、抵抗があった。

彼が自発的に発したものでないのならば、知らぬふりをしていたいという思いだ。

しかし、デビュー後に密着取材を受けたRIDE ON TIMEで、彼自身の口から家庭環境やお母さんの体調への言及があった。

驚いたなんてものではない。

デビューすると、覚悟を決めると、ここまで言葉にしてくれるだなんて。

それ以降、彼は自身の家庭について話してくれる機会が増えた。

なるほど、彼がこの情報を「世に開示したもの」に分類したのだな、と感じた瞬間だった。

 

本人が、こちらに示そうと思ったから見えた情報にしか、

触れないでおこうという思いがある。

これは私なりの、オタクライフハックだ。

 

その中で、平野くんのように明確に線引きをしてくれていると、とてもやりやすい。

アイドルって伊達じゃないよね。

この先も、紫耀くんがこちらに伝えてもいいなと思ったことだけ、伝えてくれたらいいよ〜と思う。

そのバランスがわたしには心地いいなと思えるうちは、楽しくオタク出来そうだ。

普通の生活

私は、嵐でジャニーズを知り、平野くんでオタクを知った。

自分でもなんと典型的なジャニオタだろうか、と思う。

それほどまでに、嵐というアイドルグループの門戸は広く、功績は偉大だ。

嵐に励まされ、元気付けられ、夢を見させてもらった人はどれほどいるだろうか。

だって嵐って、私たち皆んなの青春じゃん。

 

申し訳ないけれど、嵐が国民的アイドルとなってしまった以上、

もう嵐の進退は、オタクと嵐との間だけで完結する問題じゃないんだなと思う。

これは、あの先輩グループの一件でも感じたことだった。

みんなそれぞれに、「嵐」との思い出がある。

 

私が高校生の時に嵐は”社会現象”となった。

学校に行けば、友達全員の共通の話題として嵐が上がったし、

高校生だけで、花男のロケ地へと旅行した時にはワクワクしたものだった。

 

間違いなく私たちの青春は嵐とともにあった。

私の世代はみんな、そうだと思う。

 

そして、個人的には自身が今の場所にいるのは、嵐のおかげだ。

人生における重要な決断の後押しをしてくれたのは、嵐だった。

(そして、新天地に行くことになったのは、平野くんの存在があってのことだ)

 

そんな嵐さんからも、次第に距離を置くようになってしばらく経つ。

それでも、嵐だけは本人たちが「ずっと嵐」と言ってくれていた印象があったのもあり

ずっと変わらずそこにいてくれる絶対的な存在だと。

そう、思い込んでいたのだということにさえ、今回初めて気づいた。

 

昨日は、2か月間続いた帝劇の千秋楽だったので、自身の予定の合間を縫って

平野くんたちの挨拶を読み、彼らの頑張りに思いを馳せているところだった。

 

そんな折、今回のニュースを知ったのはなんと父からの連絡によってであった。

さすが、国民的アイドル嵐である。

速報が流れたというのだから。

 

心底驚いた。

絶対に、そこだけはないと思っていた。思い込んでいた。

 

でも、彼らだって人間なのだ。

 

永遠など、ないのである。

 

 

自分でも信じられないくらい、気が動転してしまった。

全く、うろたえている場合などではなかったが、じっとしていられなかった。

 

あまりにショックだった。

 

正直、ここまでショックを受けていることに自分自身がショックだ。

 

本人たちが話しているというFC動画にもたどり着いた。

何度も繰り返し見たが、全く飲み込めなかった。

 

「自由な生活がしてみたい」

私でさえ、「あぁ、大野くんらしい」と思わずにはいられなかった。

歌手として、ダンサーとして、芸術家として、圧倒的な才能を誇りながら、

最も”芸能人”として過保護に扱われことを嫌がっている印象があった。

年末年始には家族でビンゴゲームをするような、

仲良くしている一般人の釣り友がいるような、

どこまでも自然体な人だという印象があった。

嵐の人気がどんどん上がっても、「パン屋さんになりたい」という夢を口にし、

ネタにされてはいたが、いつか本当に開くかもな〜と思いながら見ていた記憶がある。

 

そんな彼が、どこへ行っても、誰と会っても

「嵐の大野智

として認識され、付け回され、あるいは報道にまで至ってしまうような

雁字搦めの生活に辟易としてしまう気持ちも、わかってしまうような気さえした。

 

そう、それは私が今や部外者だからであった。

 

会見が20時からあるという情報が流れた。

この言葉たちは逃してはならない、と

一番に放送をしてくれそうな、Mr.サンデーまでの帰宅を何としてでも叶えるべく

すべきことを削った。

どうせ、こんな日に何をやっても手につかない。

 

そして、準備している最中、会見の記事が流れてきた。

 

そこには「普通の生活」という言葉があった。

あまりに胸が苦しかった。

それは、すでに国民的アイドルとなってしまった彼が、

今望んだところで叶うことなのだろうか、と考えるとさらに、

胸が締め付けられるような思いだった。

自然と涙が溢れた。もはや、自分でもなんで泣いているのか分からなかった。

 

そして会見を見た。

動悸がして、息を呑んで見守っていた。

 

しかし、そこにあったのは

嵐の強い絆であった。

 

格が違った。

 

彼らがアイドルとして、人間として、立っているステージは

私の想像するより、ずっとずっと

高尚なものだった。

 

記者さんからの質問を受けて、紡ぎだす文章も

それを作り上げるために選択する言葉も

どれも、正しくて、隙がなくて、丁寧で、誠実で。

 

長い年月をかけて、長い年月をかけて、たどり着いた結論なのだということが

あの1回の会見で痛いほど伝わったし、

それをこのような形で、今のタイミングで伝えてくれること、

「理解していただくには時間が必要だ」と、

自身の立場や環境を確かに自覚した上で、

誠意溢れる選択を間違いなくしてくれる賢明さ。

絶対に齟齬があってはならない、揚げ足など取らせるものか、一瞬だってリーダーを責めるような空気にさせてたまるものかという

「意地」さえ感じられた。

これでこそ、嵐だよね。

 

さらには、全員が一人の大人として

豊富な語彙をもってして、正確に、明るく、

誠意と愛をもって、お互いを支え補いながら。

穴がない。

 

ニノは大野くんを「優しい人だ」と言った。

親身に近くにいてくれる、とも。

私は、そこでハワイでのニノの腰のことを思い出した。

腰を痛めたニノに。松潤が「ジャンプアップやめる?」と提案する中、

「大丈夫」と繰り返すニノに、

有無を言わさず「スライドにしようよ」とたった一言いって

決断させてくれたあの光景が忘れられない。

リーダーらしくない、と本人が笑っても、

リーダーは、優しくて愛の深い、真のリーダーだ。

 

嵐を好きになって、よかったね。

と言われた。

嵐を好きになって、よかった。

という言葉もたくさん見た。

 

なんて、素敵なグループなんだろう。

 

そりゃ、会見出の新規さんだってでますよ!

私だって、実質そうだもん!!

 

でも、大野くんの「普通の生活をしたことがないから、どんなものか興味がある」という言葉は、やっぱり私の胸に突き刺さった。

 

それは、平野くんも、ずっと憧れているものだから。

 

彼もいつか、そう思う日が来るかもしれない、と

やっぱり一抹の不安はよぎった。

それは、彼の意思を尊重したいという思いと、

その時自分は果たして、どういう思いを抱くのだろうかという思いと。

 

でも、つい今しがた、そんな今の自担がお誕生日を迎えた。

(こんなタイミングなんて…なんて皮肉なの!)

と思っていたのだが、

その動画内で奇しくも彼は、「末永く一緒にいよう」と言ってくれた。

いつも伝えてくれているその言葉が、今はさらに魔法の言葉に聞こえた。

 

ありがとう。

本当に、ありがとう。

 

私も、自分の青春の思い出をきちんと大切にするために、

この二年で嵐さんにたくさんの感謝を伝えたいと思った。

彼らの休止までの道程を、そっと見守りたい。

彼らに、人生を彩ってもらった人間の一人として。

 

嵐さん、大野くん、これまでお疲れさまです。

ここからの2年、ますます楽しみになりました。

どうか。

一人でも多くの人に幸せを。

嵐さんにしかできないことが、たくさんあります。

 

そしてどうか、それぞれの幸せな”自由”を。

JOHNNYS' King & Prince Island 行ってきました。

今回は、チケット戦争もますます厳しく(プライベートが忙しいのもあり)全3回。

お友達に感謝感謝です。

 

さて、自分としては最後の観劇となった1/26昼公演。

まさかのトラブル発生!

こんな回に立ち会うのは初めてだったので、困惑しましたが

フリートークで繋いでくれる彼らの勇姿に好きが募ったので、

不謹慎ながらもある意味ラッキーだったのかもと思います。

なので、その時に感じたことも含めて、記録に残しておこうかと思います。

(思うままに綴りますので、かなり散文になるかと思います!)

 

今回は回数が重ねられないということもあって、一回一回見るもの全てを目に焼き付けてやる!!とかなり意気込みながら見ていたので

トラブルが起こった瞬間には、平野くんの壁フラ前には、次に平野くんの出てくる立ち位置に双眼鏡でロックオン!!して待機していました。

しかし、彼のセリフは流れるものの

平野くんは一切出てこず。

正直、まずは不安がよぎりました。

 

平野くんが何かしでかしたなどとは全く思いませんでしたが、

あの平野くんが登場しないなんて相当なトラブルがあったってことやんね…?え…???

腰??平野くん不在でこのまま流れる??

 

すると、音楽も止まり、一時中断に。

特段アナウンスもなく、ただただ不安が募るばかり。

一緒に入ったお友達に「平野くんの腰…??」と言われ「私もよぎった…でも、だったらこんなやめ方しないよね、丸々カットか流しちゃうよね、、」とますます困惑するばかりのところに

壁フラの衣装を着て、マイクを持った平野くん→白衣装の神宮寺くん→岸くん、と登場。

 

あ〜〜〜〜良かった!!

無事なら何より!と思ったのも束の間、

彼らが機構回復まで「繋ぎトーク」をすることになった。

ここに出てきてくれることに、感謝の気持ちが溢れた。

そして、程なくしてカイちゃんや廉くんが登場し、5人が揃ったときに

「あぁ、立派にグループなんだな」

ってなんだかすごく温かい気持ちにもなった。

実際に、話している最中にも廉くんが

「20歳になって、帝劇でもお祝いしてもらって、、」「6人にお祝いしてもらったときには玄樹もここにいたけれど」

と岩橋くんの存在にも触れていて、デビューしてからたった1年でも

強い絆で結ばれているんだなと感じられたし、

"メジャーデビュー"の意味を今一度感じた。

運命共同体です。」と、言える仲間ができること。

そして、ピンチにだって一緒に戦ってくれる仲間ができること。

 

フリートークの中でも、まあ安定して下ネタに走りがちではあったけど、

紫耀くんのお手手がニギニギしたり、裾を気にしたりすることはなかったし、

シン…としてしまっても岸くんが頑張って話を繋げてくれたりもして笑、

私は2年前のMr.KINGで繋ぎを任されたあの日に入ってはいなかったけれど、

Princeと一緒にできたら心強いという気持ちも何だか理解できたような気がして。

 

紫耀くんが、壁フラの直前に

幕が垂れなくて中断になってしまったから

廉くんが「何で紫耀、壁フラやらへんねん!Show must go on!やろ〜」て言いながら出てきたら

「それ言われたら…」

て口をつぐんでしまう紫耀くんに廉くんが思わず笑いながらバシーンって紫耀くんを小突いてて

ちょっと悔しかったのか紫耀くんが

「じゃあ自力で飛びます笑!」とか冗談を言い始めて

イヤイヤ無理だから〜って流れの時に

「でも俺、博多座の時とかコレ自力で飛べるんじゃないかなって本当に思った」

みたいなこと言い始めて。

私、個人的にはジャニフワに触れてくれたこととか、壁フラに初めて挑戦したのがジャニフワだったことを覚えていることが嬉しくて!

なんだかジャニフワを、触れたくない辛い思い出みたいに扱っているイメージもあったから

私は幸せだったよって思っていたけれど、

紫耀くんにとっても今や、決して嫌なだけの思い出ではないのかもと思えて嬉しかったな。

 

そこから色んな話をして、(カイちゃんの着物の丈いじりからの妖艶〔ようぜつ〕とか平モッコリの話とか…岸くんのフリーダンス超面白かった🤣)

話が止まりかけた時に「良かったなあ、続けられそうなトラブルで…悲しいやん?このまま緞帳が下がってーおしまいーやったらーー」みたいに廉くんが言ったのを受けて紫耀くんが

「そしたら俺、自力で飛ぶわ」「流石にそうなったら自分で。」って言ったのを聞いて

トキメキが突き抜けてしまいました。

だってね、それってほんとうにSMGOだよね。

"たとえ機構がダメになっても、皆さんにショーをお届けするからね。"と、

彼のプロ意識が見える発言に、

やっぱり平野紫耀が大好きだ!!!と思わずにはいられなかったな。

 

それに続いて、廉くんも

「そうなったら俺らだって客席で踊るよ」って言って

すごくいいしょうれんが見れたなって思う!

キンプリ、超いいグループだよ!

 

それにね、今回の帝劇は本当に逃したらいかん!とずーっと気を張ってみていた分、

彼らが出てきてフリートークしてくれた時にちょっと緊張の糸が緩むような、

リラックスできたような感覚もあったんですよね。

帝国劇場という由緒ある場所の0番で、華麗に舞い、高らかに歌い、真摯に演じる彼のことは本当に大好きで。

帝劇がなければ、ここまで平野担で居続けてはいないことも確かで。

できるだけ長く見続けられたらなあと思っているんだけれど。

まいジャニで平野くんに堕ちた私は、

ああ〜やっぱり紫耀くんのお話ししているところが大好きだなーって思ってしまいました。

 

だから、帝劇も続けて欲しいし、バラエティやラジオのレギュラーも欲しい!(貪欲)

 

あとね、「今回の舞台は記念日がたくさんあったねー。」て話をしていた時に、デビュー記念日にも触れていて。

その時にね、彼ら自身の口から

「ここから始まりましたから」と。

キンプリ自体は、クリエから始まったグループだと思うけれど

舞台中のセリフでも触れているように、彼らの原点は

ここ帝国劇場にあって、

「また戻ってこれたらいいね」と廉くんが言ってくれていたのが

すごく勘ぐってしまうけれど、、、でも、その気持ちが嬉しかったな。

まだ卒業かは分からないけれど、でも、また帝劇に連れてきてね。約束だよ。

 

そんな色んな気持ちを掻き立てられたトラブルだったけれど、

途中にも

「あと5分くらいで復旧しますので」「………結構あるね???」

「あと3分くらいですね?」

と刻んでいたり、大仕事だよねお疲れ様と労わずにはいられない瞬間もあったけれど、

無事に繋ぎ終えた彼らが下手にはけていって

舞台が再開した時にね

「どんな困難だって乗り越えてみせる!」のセリフだったから。

すーーごく胸を打たれたよ!!!!

リンクしてた!

 

こうやって一緒に乗り越えていくんだね。

どんな困難だって大丈夫なんじゃないかなあって思ったよ。

だからまた、会えるといいな。

 

本当に全72公演お疲れ様。

インフル大流行にもかかわらず、年末年始には1時間しか寝られなかったにもかかわらず、平野くんは腰に爆弾を抱えていたにもかかわらず、

穴をあけずにやりきってくれてありがとう。

紫耀くんのいうように、みんなに貰った感動を、明日からの活力にするね。

本当にいつも勇気と元気をくれてありがとう。

大好き!

SNS上の諍い

って、すごく取るに足らないものだなと思う。

まるで生産性がない。

…と言うと、あまりに冷たすぎるかもしれない。でも、これは真実だと思う。

平野くんのファンでしかないので、平野くん周辺のことしか見れていない視野の狭さは先に謝っておきたい。

そもそも自分自身、平野くんに出会ってTwitterを始めるまでは

オタク同士のつながりというものが皆無に等しかったから、それまでオタク同士の争いに触れることはなかった。

その分、初めて目の当たりにした時は愕然としたものだ。

 

アカウント作成当初は幾度となく心無い言葉に直面し、その度に傷ついてしまった。

また、せっかくお友達になれたと思っても、価値観のズレを感じた時どうしたらいいのかわからず途方に暮れることもあった。挙句向こうから「合わないんだよな〜」とエアリプさせてしまった。ごめん。

(今でもちょっとトラウマで、もっと早く絡みにいくのをやめてあげるべきだったなとか、思えばあのアカウント移行は私を切るためだったのでは?しつこく付きまとってしまったゴメンね、とか、折に触れて申し訳なくなったり恥ずかしくもなる、、)

 

相互的な関わりがある人との諍いのみならず、全く知らない人の刃物のような言葉が突如目の前に降ってくることもある。

SNSを使う上で自衛が必要だ、とはよく言ったもので、この文言が頻繁に使われるのは、そうした感覚のズレや衝突はどうしても防ぎようがないからだと思う。

 

そりゃ、世界60億人いれば価値観は60億通り。絶対的な正解などなく、自分が好きなものを嫌いという人がいるのは当然だ。

ただ、そういう自分の個人的な「不快感」を、簡単に全世界の人の目に触れるところに放り投げる人があまりに多すぎる。

愚痴である。

愚痴は本来、「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。」を指すらしい。

言っても仕方のないこと、つまり言ったところで意味がないのだ。

そして大概、誰かの好きを否定してしまう内容であることが多い。

なのに、それを堂々と放出してしまうから諍いの引き金を引く。

ネットの繋がりの中でなくとも頻発することなのだろうが、SNS上はそれが異常に多い。

面と向かって言うわけではない分、自由である一方で、とても危険だ。

しかしジャニオタ、いつも戦争が絶えないねぇ、と苦笑してしまう。

 

確かに、争いの種となるような案件が浮上した時に、私もイラッとしてしまうことがよくある。反論が次から次へと浮かんでくることも、かなりよくある。

だから、そこで一息吐くようにしている。

これがSNSの良いところだ。口を突いて出るということがない。文字や文にするまでのステップがある分、思いとどまれる波止場が幾つかある。

脳内で「金持ち喧嘩せず」「君子は矜して争わず」と唱える。(※私は貧乏であり、君子でもない)

大抵の負の感情は、不特定多数の目に触れるSNSにあげるべきだとは思えない。

だって、反論はさらなる争いを生むだけだから。

オタク同士の争いなど、犬も食わない。

事の発端は大抵「オタク」であり、それにカンカンに怒るのも大抵「オタク」だ。

少し視点をずらしてみれば、どちらも同じ穴の狢であり、世間一般では同種に括られる仲なのだ。

 

そのコミュニティーの中で、同じものを同じタイミングで見ながら、

ああだこうだと言い合っているにすぎない。

意見交換ならば、とても文化的で素晴らしいものだと思うのに、それが知らず知らずのうちに争いへと発展する。

 

もったいないなぁ、と思う。

何も生み出さないのに。

反論を繰り広げる人たちはまた、語彙も豊富で、視点も鋭くて、優秀そうな人が多いからなおのこと勿体ないなあと思う。

あなたのその時間、違うことに費やした方が世のためにはプラスだよ…!と謎の視点でコメントしそうになることも笑。

 

ジャニオタ同士、仲良くしようよ。

ましてや同じグループ内での貶しあいなんて、自分たちのためにやめようよ。

今ならマイケルやジャニさんの気持ちも分かりそう。

We are the world だわ(?)

 

それがタレントや制作側の人たちの元に届くというのなら(絶対に嫌だけれど)百歩譲って目論見がわからなくもないが(絶対に許せないけれど)、

少なくとも平野くんはそういうの見ていないと思うよ、と言いたくなる。

というか、見ていたとして!SNS上に転がっている、素性も分からない人が攻撃的に投げかけた言葉を受けて「はい、そうですか。」と愚直に言動を改めるタイプではないように思う。

それよりは、自身の信念を貫くタイプでは…(頑固ともいう)

 

何か彼が非難された時に、擁護する意見がないと

非難の方が正しいというような風潮になってしまうという懸念があるのもわかる。

意見交換が必要な時もあるだろう。

ただ、どうにも攻撃的な反論を感情的な言葉に乗せて繰り広げる様子を見ると

そっと目を閉じたくなる。

大抵の案件は、数ヶ月もすればみんな忘れてしまうようなものばかりだ。

無駄なエネルギーをそこに割かないでほしい。

 

だから、ふと一人になると

「争いがなくなればいいのに…」

と思う。

私はジャニーさんか!って自分で突っ込んでいる。(寂しい)

ジャニーさんも、そういう気持ちなのかなぁ…

 

早く戦争がなくなればいいね。

 

などとこんなところに書いてしまう私も私だ。

ブログってどうやって鍵かけるんだっけ………

応援しているアイドルが売れる、ということ。

波に乗るということはこういうことなのだなぁ、と感じる毎日だ。

 

年末年始、それはそれは去年では考えられないほどのメディア露出があり、さらにはそのどれにおいてもKing & Princeのメンバーはかなりの好待遇を受けていた。

心配していたダマされた大賞も、蓋を開けてみればとっても好意的な編成だったし、

平野くんの良さが十二分に伝わるものだった。

紅白歌合戦も、不在の岩橋くんの存在を絶対にないものとはさせないというメンバーの強い思いと、(賛否両論あったとは思うが)King & Prince以外をステージ上あげないというオトナの強い意志を感じさせられ、まさしく今彼らがいるフェーズをありありと見せつけられているようだった。

今日(正確には昨日)放送された逃走中では、カイちゃんがミッションにも果敢に挑み、さらには逃走にも成功したことでトレンドとなっている。

あぁ、間違いなく私は流行の波のど真ん中にいる人たちを見ているんだなあ、という感覚になる。

 

売れれば売れるほど、そしてそれが「正統派アイドルとして」であればあるほど、彼らの良いところがピックアップされ、

お茶の間でテレビをつけるだけでそれが見られるようにもなり、

こうした積み重ねで広く認知されるようになって。

その振幅がどんどんと大きくなっていってゆくゆくは、一躍「国民的」と呼ばれるまでになるのだろうなぁと思う。

 

そもそも彼らはみんなずっと、そうなれる素養を持ち合わせていた人たちだった。

だから、世間的に有名になる前からチャンスがあるうちにパフォーマンスを堪能しておきたい、と

はるばる東京まで足を運んでいたはずだった。

その覚悟があったはずだった。

 

なのにここに来て、急に寂しさを覚えるようになってきた。

 

キンプリがブームとなったことで、日常生活においても話題に上がる頻度が増えた。

近しい人たちには、私が平野くんを好きだということは知られているものの、

そこまで親しくない人には特段伝えてはきていなかった。

(言い回ることで私のオタク活動に支障が出るのも嫌だった。)

その人たちとの会話でキンプリが話題に出た時に「実は私好きなんです」と言ってしまう瞬間がある。

すると、「キンプリの誰が好きなの?」と聞かれる。

平野くんです、と答える。

その時の反応が「あぁ〜〜出た出た」といった感じなのだ。

ミーハーなのがバレてしまった、といったところだと思うがこれが非常にさみしい。

 

もちろん、平野くんを好きなのは王道が好きなので間違いない。

 

ただ、これまでに私は何度か平野くんやMr.KINGファンであることを公言した際に「え……?誰?」といった反応を受けたり、彼らの良さを説明して「そうは言われてもそれはファンの偏見じゃない?」と言われたことがある。

そのたび、「分からない人には分からなくて良いんだ」と自分に言い聞かせてきた。

きっといずれかこの人たちも、平野くん(とキングちゃんたち)はスターなのだと思い知る時がくる。

平野くんは絶対に世に羽ばたいていく人だから!

と信じてきた。

 

そしてそれが叶った今、嬉しくて嬉しくて。

 

なのに、そうなったらなったで私はいまや「日本で多数いるうちの1人」になのだなあ、当たり前だよなぁといった気持ちになった。

 

自分の惨めな部分をまざまざと見せつけられているようで、とても情けない。

そんなつもりは全くなかったが、平野くんのファンをしていることで、自らの承認欲求さえ満たそうとしていたのだろうか。

情けない話だ。

 

でも、平野くんを応援し始めてから4年。

楽しくなかったことはない。

ずっと、感動や幸せを届けてくれた。

思うようにいかない時間や、やりきれない思いも、本人たちの言葉でいつも昇華してくれた。

全く後悔はないし、どれも大切で譲れない思い出たちだ。

だから、これから先もゆっくり自分のペースで、平野くんたちの活躍を見届けたいし、できることならたまにはあのパフォーマンスや存在感を生で見続けられたらなあと思う。

 

ただ今は少し、寂しい。ちょっとセンチメンタルな時期なのだ。

平野紫耀とお勉強について

平野くんはお勉強があまり得意でない。

というと、また本人から「やればできる。高校の時に本気を出した時は、90点以上をたたき出しまくった。」とかなんとか訂正が飛んできそうだ。

そうだと思う。

やればできる、間違いない。

ただ、直接的に役に立てづらい知識を強要される”お勉強”が好きではないのだ。

本人がもし勉強を好きだったら東大でもハーバードでもいけただろうと思う。

しかし、彼の家庭では勉強が全てではないと、縛られてはならないと

のびのびと育てられたとのことであった。

だから、アルファベット順が言えないし、九九もいつも危うげだ。

ママには、お勉強よりも人としての礼儀や節度、思いやり、そして知恵を養いなさいと言われてきたのだろう。

テストの点が悪くても怒られないが、女の子に優しくしないと叱られた、といったニュアンスのことを言っていたのも見たことがある。

 

そんな平野くんが、今月発売のMyojoで「"CO2"はなんでしょう?」というクイズに見事正解していた。

その理由として、彼は(初めて正解したことに喜びを隠しきれない様子で)以下のように語っている。

 

俺ね、学校の授業の中で理科は好きだったの。

あと、前に過呼吸の対処法を勉強したことがあったんだよね。過呼吸は、カラダの二酸化炭素が減るとひどくなるっていうから、酸素や二酸化炭素について調べたことがあるんだよ。

だからわかった! 

 

少し興奮した様子が伝わってくるような口調があまりに可愛らしすぎて、マスクされてしまっているが、このコメントの中に彼の底知れない魅力が見え隠れしている。

 

まず、二酸化炭素について知っているのが、地球温暖化などといった社会的な問題ではなく、自身の身体に関連するような事象きっかけであるという点で、とても平野くんらしいと思った。

ましてや、ただの記号としてのCO2であれば覚えているはずがなさそうなころも。

さらに、彼が理科が好きだというのも非常に納得のいたすところである。

「化学」「生物」「物理」ではなく「理科」であるのも

彼の学習が義務教育でクライマックスを迎えたことを表しているようだと感じる。

そして、主要教科の中でも、特に自身に実感を伴って学びやすい教科であるという点で、理科が選ばれたのだろうと思う。

何せ、得意科目は「保健体育」なのである。

トマトの有効成分はリコピンであること、女性ホルモンの分泌により女性のお肌が美しく保たれること、などといった知識についてはママやアキコさんなどの、彼を取り巻く女性から得たものだろうと思う。

知っている他の分子式が、H2、O2といった顔ぶれなのも、「水素水と…酸素カプセルとかボンベかな?」などと推測している。(酸素については過呼吸関連で、と言っているが。)

 

一方で、彼は痺れが虚血に起因することも知っており、痺れている人に「ちゃんと血、巡らせてください」という。

CO2の存在を知ったのは、過呼吸への対処法を調べた結果だという。

これらの話を聞いた時、私は彼のお母さんや岩橋くんを連想せずにはいられなかった。

(あまり彼の言及していないところにまで考えを及ばせることは褒められたことではないと分かっていても、不可避であった。ご容赦いただきたい。)

 

ジャニフワの時に、彼自身が走りすぎて過呼吸気味になったこともある(し、本人も過呼吸になりかけたと明るく吐露していた)ので、

その時に学んだことなのかもしれないが、なんとなく本人があの時の体調不良について言及するとは考えづらい…これは完全に私の勘でしかないが。

だから、「あぁ、『人を助けたい、守りたい』と言う彼らしい言動だ。」と思った。

本当に彼は強く、優しい。

彼に愛される人はなんと心強く、そして幸せな人なのだろう。

どうか、たくさんの愛を受け止め、平野くんに返して欲しい。

 

あと、このコメントに感動した点がもう一点ある。

それは、彼の「学習方法」である。

過呼吸の対処法を調べるとして、「ビニールを口に当てて過換気を抑制する」という方法にたどり着いて満足する人が多いのではないだろうかと思う。

しかし彼はさらに、過呼吸発作時に体内で起きている生理現象にまで考えを至らせていた。

なぜ、その対処法が取られているのか、功を奏すのか、きちんと原理までさかのぼって理解をする。必要な知識であれば、記憶にとどめている。

なるほどこれは、応用が効く学習法である。実に効率的であり、効果的だ。

要領がいいとは思っていたが、無意識のうちにそういった学習回路を構築し実践している彼に、感嘆せずにいられようか。

やはり只者ではない。

 

これだけの能力と、運命性と、そして深い優しさを持ち合わせている彼が

世に広く知れ渡り愛されることは当然だよなぁ、と思う。

まだまだ、新鮮に感動を届けてくれる彼に改めて、感謝したい。